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 決定権を持つ役職に就くのが55歳くらいで、定年まで5年~10年しかない。

20年前と比較すれば、この年齢も若くはなったとは思うけれど、それでも海外と比較すれば、若い人がリーダーシップを発揮できている企業は日本では少ないと感じる。7年ほどの間に4社で働き、その前12年の間に5つの企業で働いた。12年間で5企業の就労生活は海外法人という立ち位置の企業だったので、現地のトップは日本でいう部長クラスのような若い人は多いが、グループトップというと55歳以上の企業ばかりだったと思う。

決定権を持つ役職につくために燃え尽きるような気がしてならない。外資系で働いている時の外国人上司は、今のところ自分と同等か自分以上にITスキルが高い。また業務開始から目標達成までのリードタイムが短い。

現職でプロジェクトをしていて、その次の会議までのリードタイムが1ヶ月ある。外国人プロマネであれば、1週間に1度のペースで強引に進め、国内では半年かけるようなものも1~2ヶ月で終わらせていると思う。それくらいのんびりした気質がリードしているのが日本だ。

悲しいことに、その上を見て、それがプロのスピードなんだと、若いのにマインドが古く上書きされてしまっている若い世代も見受けられる時だ。本来なら、いや違うんじゃないか!とネットでコメントを入れているかもしれない世代が、社内では発言権があまりないために、洗練されるべきところが退化している例も見たことがある。

 

社会が変わるためには良い会社が残り、悪い会社が淘汰される資本主義のサイクルが日本でもっと出てくるべきです。

この考え方には同意見です。日本は100年以上続いている企業が多いと称賛されることがある反面、どう生き残ってきたかが見過ごされがち。

高い技術力の下、グローバルで必要とされ続けて生き残ったのか、政府や取引先のメーカーなど外部からの補填で食いつないできたのか、2種類が考えられるが、後者は多いと思う。

筆者の経験から言えば、卸に補填を売上にカウントしている悪癖がある。もともと長く食品にいたが、賞味期限が切れるとメーカーに返品してくるのは日常茶飯事だった。国内ではそれほどないかもしれないが、海外にある日系スーパーでは日常茶飯事。自助努力をしない文化が根付いている。

オーナーが60過ぎの人ばかりだったから仕方ないとも思うが、リスクを取らないのであれば誰だって成功する。

あとはリベート。これは達成リベートではなく、売った数に対し定額を払う。理由は、売先でリテールが決めた金額設定により卸が利益を取れない事象が発生する。競合がさげればこちらも下げなければいけない時に、卸が競合できる価格で卸す、その差額をメーカーが持つという形だ。これは海外の家電メーカーでも多くあったようであるが、日本でも普通にある。ただ、50-50なら致し方ないと思えるが、100%メーカー請求する大手がいる。卸は、痛手は被らない。

メーカーは、特に上場企業であれば株主のためにも利益を最大化することに注力し、どれほど人間的に仲のいい関係にある企業でも、ビジネスとして有効でないならばしっかり手を切らないといけないと考える。

また政府も生き残りがきつくなった企業を何でも補填で救済するのではなく、淘汰をさせて、起業にサポートを強めた方が、より新しいものへと脱皮するはずである。歴史的に補填が様々な局面で多いため、自力で生き残る能力を身に着けずに大きくなってしまっている現実を打開する必要があると思う。

日本が100年以上の歴史を続けさせた企業ではなく、続けられちゃう社会というのが正確な表現かもしれない。

「儲かるから」と“おはやり”のビジネスをしている企業はダメ。「こうすれば日本の企業が変わる」という熱意がある企業が伸びていく

民間企業の根底には、利益生み出す、ことは大前提。しかしながら、現状は儲からないことと分かっていながら、昔から続いている、仁義という観点から、利益にならないことを続けている企業が多くある。

一方で「儲かるから」という原点で成り立っている企業は、最終的にクレームになることが多く、「役に立ちたい」「世界を変えたい」と考えている企業は、何年たっても形を変えながら周知され長生きする。儲かるに社会貢献が伴わない場合は、いずれ淘汰される。社会貢献度があってニーズが生まれ供給が発生する。ニーズを飛び越えた利益は搾取でしかない。

搾取を減らしていくためにも、淘汰を厭わずに推進して欲しい。