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情けない議論

河野さんの押印廃止には大賛成な筆者。それに対し、これを批判する団体が日本の変化を阻む大きな要因だと考える。

押印廃止を義務にしてもいないし、三文判を押すだけならいらないのではと言っているだけにも関わらず、誤解を招く配信をしてとクレームを言う。自分の事業がなくなるのではと必死に抵抗する。

政府は、どんなに批判されようと推し進めて欲しい。

戸籍を含め、日本を含め数えるほどの国しか制度のないものは、廃止をして欲しい。戸籍制度も色々な意味で煩わしい。

捺印、署名、どう違う?

電子捺印と紙への押印は同じだと思う。三文判は、どこでも誰でも買うことができる。

本人の押印ではないことをどう説明する?

筆者と同じ苗字の三文判を同僚、部下、上司、友人はどこでも手に入れることができ、筆者の決裁書類に全て三文判で押印したとする。

責任問題が発生した際、筆者の捺印がしてあるという指摘から、自分がしたものではないと反論した際、どのようにしていないことを証明できるだろうか。

これが署名だった場合、自分の筆跡ではないことを筆跡鑑定で証明することができる。その意味では、押印と署名に関しては、署名に軍配が上がると思われる。

ハンコ議連なるものが、押印廃止に抵抗している。また三文判を作っている事業者が三文判の恐ろしさを皆は知らないと猛反論している。

確かに押印があれば有効、なければ無効という判断をされる習慣があれば、その威力は大きいだろう。しかし、それが本人のものではなく、第三者によって100円ショップで購入されて押印されたものであれば、身に覚えのないものに関しても有効となる恐ろしさがあるのも事実。

冷静になって考えると、押印がないものでも、受け取る側の判断で有効、無効と言われるのは同じ。であれば、あってもなくても同じではないかと思われる。

判子業界は、行政が義務付けていたおかげで楽なビジネスをしてきた。座っていたって判子が必要なんだから、いずれ作りに来る。買わざるを得ないという社会の流れの中で楽な商売をしてきた。だから、電子化が進んできた今、判子の意味するものを代替できる新しい何かを考えることが出来なくなっているに過ぎない。

本人を特定するのが判子の意味であるならば

は、判子が意味してきたものに近いか同じだ。

そういうものを創り出すべきではなかったのだろうか?既にIT関連企業が作り出してしまっている。ITを否定する前に、こういうシステムを思いつく努力をしてこなかった自分達を戒めるべきだ。先を見据え開発していたなら、今頃、利権好きな彼らのもとに多くの大金が舞い込んできたであろう。

捺印しすぎな稟議書

社会人になってからの長い疑問。

稟議書自体は否定していない。プロジェクトを進めるうえで大きな予算が動くのであれば、その経緯を知る意味でも稟議書はあってしかるべきかとは思う。とは言え、会社によって大きく形態が異なっていると思う。

外資系で働いている時は、1枚ペラに予算と想定される利益、予算に対してどれだけの見返りがあるか、を説明して外国人上司から、署名を貰うか、メールでApprovalという返信を貰うことで承認の証拠となる。

60人ほどの日本企業での稟議書は、稟議書の会議が開かれるが、一番しんどかったのは

  • 紙ベースで書類を全員分用意すること
  • 説明後に全員分を回収し処分すること。

この書類を用意する作業に時間をかけたものの直ぐに処分をすることになる。手元に残さないのであれば、なぜプロジェクターではだめなのか

と頭を悩ませたもの。

また稟議書は、

  • 自分
  • 上長
  • 営業部長
  • 営業本部長
  • マーケ部長
  • 経理部長
  • 社長
  • ボードメンバーの全員

的な押印がずらりと並ぶ。全員回覧するのに出張者がいれば帰ってくる日まで待たなければいけない。もちろん今では全て電決済の会社も多くあるとは思うが、そんな中で未だに紙ベースは多く存在する。

稟議書に意味がないし、押印の効力も会社では強くないと感じたのは、稟議が通った案件がり、それを実施する際、直属の部長に、「俺は知らない、聞いてない」と言われ実施を止められたことがあり、稟議書を見ると彼の押印がある。押印ありますと伝えると角が立つので黙ったまま受け入れたが、押印の効力なんてそんなもんだ。

押印は責任を分散させるためだけにある

施策が思うようにいかなかったとき、赤字になったときなどに、誰の責任だのところで、営業部だ、マーケだと経理部長が言い放った時に、経理部長のあなたも了承したではないか、という時のためにあるに過ぎないと考えている。

もちろん監査的な要因もあるのかもしれないが、現実的なレベルで言うと責任の押し付け合い、でも誰も責任は取らない、押印が形式的に、の状態へ形を変えた。

個人レベルの話をすると、不動産関連。逆に実印だと一番簡単だが、マンション売却を依頼したことがある。3ヶ月ごとの契約更新で毎回、更新書を書き直さなければならない。その際、最初に押印したものと全く同じ判子で押印をしなければいけないルールがある。

契約ごとをメインでしている人は知っているのかもしれないが、消費者レベルで契約ごとなんて言うのは少ないから事情に疎い。そういう消費者からすれば、三文判は、誰でもどこでも買えるものなので、何を押しても本人が押印しているんだからいいじゃないかと思うけれども、面倒くささがぬぐえない。

押印文化に関し、社判とかは、その会社の人しか押せないというイメージが強いので、その効力はあるなと感じるし、実印も然りで、別の人が全く同じものを作れないだろうなとも感じるので実印を押しているなら押印は廃止しなくてもいいかもと思うが、三文判であれば、プロセスを複雑にしているだけなので必要はない。