他責おじさん

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他責が上手な人ほど出世できると研究結果の末、証明できてしまうことが何ともお恥ずかしい。他の国にもそういう傾向があるかもしれないが、少なくとも日本は「非効率国家」だ。特に人に対しては・・・

 

「今回のミスの責任を取れ!」と周囲から詰めよられても、「いやいや、悪いのは私じゃなくて、私の命令にちゃんと従わなかった部下ですよ」なんて感じで、罪悪感なく責任逃れができる「他責おじさん」ほど、サラリーマンピラミッドを駆け上がっていけるということでもあるのだ。

記事では『他責おじさん』が非難されている感じに見えるが、そういう方々昇進させてしまう諸悪の根源は、『昇進させた上司』又は『人事的判断を下した人』であることは、冷静な判断が出来る人なら一目瞭然。

どの時代にも、どの国にも『他責おじさん』は多くいると思うが、海外で12年働いた筆者が、そういう上司に又は先方の責任者に殆どと言っていいほど会っていないのは、人事判断をする側が、しっかりと資質を見ているということだ。

そもそも、『他責』する人ほど、実際に作業や仕事をしていない。だから、責任の所在も分からないし、何が起きたかも分からないし、起きたことに対して、どう対処したらいいかも分からない。

そういう気質は、上司になったから急に身につくわけではなく、もともと部下であったときにもそうだったはず。優秀な人材がいれば、彼が上司に昇進することはなかった可能性は高いだろう。人材がいないから、消去法で昇進する最たる例の一部だと推察する。

問題解決法より誰の責任で起きたかを強く追及する日本

帰国していくつかの企業で働いて率直に思ったことは、何か問題が起きた時、すぐに対処しなければならない切羽詰まった状況にあるとしよう。そんな時、緊急でミーティングが開かれて、どう対応するかを話し合った際、協議の優先順位が『どう対応するかの話し合い』ではなく、『そもそも何でこんなことになったの?』から始まり、そっちの話が長い。

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緊急を要するのだから、対応してから再発防止を協議すればいいと思う。米国では、発生を防止する策よりも、発生した後どうするかの行動が早い。寧ろ、前例のないことに問題が発生しないわけがないという前提に基づいてはいて、問題が起きた個所を都度修正していくというやり方が一般的だ。

日本は、どんな間違いも起こらないように、気が付かないレベルまで検証を続けて発売やサービスに踏み切る。悪いことではないが、そこに開発コストがかかっている。早く世に出して、修正に必要な原資を少しでも回収してから修正すればダメージも少ない。

製品にほぼ不備がないという状態で市場に投下されることが常であるがゆえに、不良品が出ようものなら、消費者も容赦なくクレームを言う。クレーム大国でもある日本は、クレームを言う人が正になっている節がある。クレームされた人が普通の考えレベルの人だったとしても、クレームの人を鎮めることが優先となるのが驚く。

逆の驚きも米国であった。とあるスーパーでレジに並んでいたが、レジの人が遅く長い列になってしまっていた。ある白人男性が割り込みをしてきた際、その後ろにいた白人女性が、割り込んだことに関してクレームを普通レベルのトーンで注意した。何度言っても男性は、聞かないので、レジの人にクレームを伝えた。すると、レジの女性は私には関係ないとばかりに、マネージャーへ電話。程なくしてマネージャーがレジ前まで来て、当の本人を強引に追い出した。驚いたのは、追い出されたのが、注意をした女性だったからだ。

悪質な言いがかりであれば、この対応は正だと思う。しかし、明らかに割り込みをした人が悪く、一部始終を周りも見ていたはずである。しかし、女性が半ば強引に店を追い出されると、周りで並んでいた人も、なぜか男性を擁護しだしたのである。不思議な光景だった。追い出された女性は、「私は注意をしただけなのに、なぜ追い出される側なの?」と自分の正義を訴えてしぶしぶ店を出ていった。何も出来ない自分に無力感を感じたのを昨日のように覚えている。

もう一つ、ショッキングだったクレーム関係を紹介しよう。マクドナルドで並んでいた時、お客の黒人の若い女の子が、購入したものかする前か忘れたが、店長に対してクレームを言い始めた。最初は、紳士的に言葉で切替していた黒人店長だったが、女性客のあまりの罵声に、レジカウンターを飛び越え、女性を掴み、ぼこぼこに殴り始めたのだ。

傍から見て、明らかに女性客が悪いので、心の中では『店長、よくやった』と思っていたが、暴力にはうるさい米国で堂々と行われた制裁劇は、映画さながら。映画は大げさに表現しているわけではなく、リアルなんだ、と改めて思った。

海外だと困惑する程、クレーム時の対応がまちまちだが、日本は8割がた『いったもの勝ち』が成立する。

人材不足が普通

世の中に存在する会社の多くが人材不足。それは、高度経済成長の時も同じだと思う。人は過剰でも、できる人材は常に不足しているはずだ。特にグループ会社でグループ内に何十と社長を抱えることになるホールディング会社であれば、それだけの社長ポストに据える優秀な人材はまずいないはず。会社の数が多ければ多いほど、優劣が付けられいい人材と、そうでもない人材の仕分け場になっているはずだ。

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そもそも、評価が低いグループ会社を抱え続ける理由はいったい何なのか?冷静に判断しても評価が低い会社であれば、多少の損が出ても手放せばいい。そういう判断に問題があるのだ。

人財が不足するのは、ポストに対して優秀な人材の数が追い付かないから。追いつかないのは、育成してこなかったからに他ならない。育成できなければ、外部から雇用すればいいが、昔からいる人材を簡単に切ることが出来ない。労働法で従業員は守られている。

キャラ付け文化

従業員の評価は360度の側面からするべきだと常々思っている。評価に対して真摯にとらえていない企業の多くは、上司から部下への評価一方通行が多いだろう。この方法だと、上司から感情的な非難を持たれたら最後、いい仕事をすれば評価の項目から外され、失敗をすれば評価原点マイナスの項目として焦点を当てられる。

海外でも学生のうちはあるかもしれないが、日本には大人の世界でもキャラ付けする人は多くいる。一旦、そういうキャラと周知されれば、そういう見方をしている人がいなくならない限り、レッテルを張られ続ける、非常に陰険な環境が大人の世界にも多く存在している。

前職にもいたが、過去に営業で何らかの失敗があり、取引先から営業マンを変えて欲しいという要望があった。その方は、それ以来、営業から外され内勤でレポート作成が主な仕事となっていた。

彼は、顧客、市場、在庫の動き、内部のレギュレーションなども熟知しているため、新入社員にも十分に教えることができるが、過去の1件の失敗で全ての未来が決まるのはいかがなものかと考える。

犯罪者でさへ、再起のチャンスを与えられるのに、犯罪を犯したわけでもない失敗で再起のチャンスすら取り上げられる。しかも、銀行のような大きな組織ではなく50人強の会社でだ。

営業をしたことがある人なら分かると思うが、個人により得意とするお客さんと苦手とするお客さんがいる。上司は、等しく上手くやって欲しいと思う人が多いと思う反面、苦手を克服するには相当な時間と精神的忍耐力を要する。克服するまでには、何期も終わってしまう。言い換えると、上司の思いは長期にわたりに達成されることは難しくなる。

Aさんにとって苦手な顧客はBさんは得意だったりするケースもある。得意でないまでもそつなくこなせるレベルというのは往々にしてある。苦手を克服させて一カ所で停滞させるより、得意だけなものだけでもどんどん先に進んでもらう方が、期内に目標を達成しやすいだろう。

上司の采配ミスは部下を退職に追い込んでも克服できない

担当を割り振るのは上司の仕事であることが多い。部下の成績が振るわないのは、上司の采配ミスであることは間違いない。スポーツの世界だって、チームが勝てない時、選手選びの采配ミスと非難されることは常だ。高い金を払ってエース級を投入しても、システムにあっていない組み合わせで負け続きでコスト効率が悪いとGMから非難されるだろう。逆にエースがいないが、自前の若いプレイヤーだけで、売れるシステムに乗せていたら、一人一人の力が弱くてもゲームには勝てる。コスト効率がいいとGMに褒められるだろう。

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下手を打つ部下をもって、その部下の本質を否定してしまう、いわゆる普通の上司が多くいる。有能な上司は、その短所が数字に影響しないような配置や業務内容を割り振るだろう。または、できていない部分が他が持ち合わせていない長所と違う見方を教えるかもしれない。

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言えることは、否定をしていらないからと他の部署へ回されても、たらいまわしの結果の異動の場合は、異動後も本領を発揮できないことも多い。

有能な社長であれば、部下の出来なさを毎回のように愚痴る上司は、上司の能力のなさを証明していると取る。この愚痴が長期的になくならない限り、次に昇進させることもないばかりか、ひょっとしたら管理職から降ろされることもあるかもしれない。しかし、幸か不幸かそんな有能な社長は人口の1%もいないだろう。

ポリシーに反することは、自分の代で止める

他責おじさんが作り上げられた背景には、企業文化が大きく影響していると感じる。根深く残る文化を改善するのは至難の業で、改善には時間がかかる。しかし、今、部下という立場にいる方も、いずれは世代交代の時に上司となるだろう。その時に、自分が受けて嫌だった行為を継承せず、あなたの代で終わらせて欲しいと切に願っている。

悲しいかな、自分がひどく昔の上司にひどい扱いをされた人ほど、上司になってから部下に自分が嫌だったはずのことをしている光景をよく目にする。

これは、幼児虐待を受けた人が、自分が親になって自分の子供を虐待するのと同じ理論だろう。職場の振る舞いと家庭の振る舞いは似ているところがある。

会社で部下の面倒見や理解力がある人は、家庭で子供の面倒をよく見たり、奥さんのストレスが増えないよう、手伝いをしていたりするだろう。これは、営業成績がいいという成績とは関係ない。人に対しての考え方だ。

営業成績でいつもトップでも家庭では何もしないという人は多くいる。営業成績がトップなのは、自分の成績だけに集中をしているからであって、決してイコール有能というわけではない。数字だけが確実に取れるという人材は、営業代行の会社を企業するのがいいだろう。企業は、確実に目標を達成してくれる人材を探している。

フリーランスにはなくて組織にあるのは、人材の育成部分だ。営業成績とは関係なく、以下に周囲に気が付くか、その気づき一つで何人もの人材を救うことができる。この行動は、ひとえに企業文化が強く影響すると思う。もちろん、もともと面倒見がいいという性格はさらにプラスだと思うが、そんな人でも、他人は知らんぷりの企業に入れば、面倒を見ることで評価を下げられる可能性もある。結局は、自分が今いる環境へと近づいていく。

文化をテコ入れするには、上の人間が率先していい姿を見せることにある。いやいややれば気づかれる。本気でいい行いをしなければ、人を動かすことはできない。

他責おじさんの根絶は簡単ではない。しかし、不可能ではない。経営者の方には気が付いて欲しい。