「ながら」は若い世代では当たり前に
「ながら」は悪だった
私の世代は、「ながら」族はある意味、悪い習慣とされていた。今でもよくないと謳うポスターがある。ながらスマホ、とか。
しかし、これからの主流の世代となるミレニアル世代は、「ながら」に特徴があると思う。依然悪の要素だったとしても、習慣としてそうなっている気がする。
ミレニアル世代の大きな特徴は
それまでの世代とは異なる、というのがキーワードでデジタルがインフラ。日本ではゆとり世代と言われたりして、動かしづらいと揶揄されるが、どちらが正解なんてないと思う。
学者や専門家は、いわゆるそれまでの世代の人しかいないわけで、ゆとり世代を肌で感じて論破してくれる味方もおらず公平ではないと私は思う。しかし、何を言おうが、そういう世代は、社会に影響を与えるだけの一定数存在するわけであり、共存を図るのが本来あるべき姿だろう。
正直言わせてもらうが、ベビーブーマーが我々就職氷河期世代の前にいる。その世代の方が社会に悪しき習慣を与えた影響力は高いと思う。ゆとり世代を非難するのは、ベビーブーマー世代、就職氷河期世代は、どちらにも傾倒できる程、精神的には鍛えられた人が多いだろう。言い方を変えると、就職氷河期世代は、美味しい汁を吸っていない時代。もちろんITバブルとかはあったかもしれないが、あくまでも特定産業のバブルであって、誰もが経験したわけではない。
ITにいなかった私としては、ITバブルは知らないうちに過ぎていた。大学を卒業した時に
これから巨大地震が起きると常に言われているが、南海トラフが起きれば、「はいはい地震、地震」って思う氷河期世代は多いだろう。
そんな私なので、昔から残る悪しき習慣を、ゆとり世代やミレニアル世代という人たちの力で払しょくしてもらいたいと思っている。私の世代は、我慢強い人が多くパワハラをされても我慢している。ミレニアル世代が、退職代行に頼んで辞めていくなどの行動をとっていって欲しいと願う。
そこでミレニアル世代が主流になるにあたり経験した例で特徴を上げてみる。
(1)同時進行は当たり前
知り合いで、ミレニアル世代の方は、例えばNetflixを見ているけどスマホもいじっている。両方をいじりながら映画の内容が分かっているのかなと思うんだけれど、要所要所で笑ったりしているので内容は把握しているのだと思う。
(2)映画もドラマも早回し
NetflixやAmazon Prime Videoで映画を見ている時は、早回しをしながら見たりする。ストーリーを飛ばすというよりは、映画やドラマの「静」の個所を飛ばす感じだろうか。製作者側からすると、雰囲気作りに必要として取り入れたシーンでも、一部のミレニアム世代からすれば、ストーリーの流れには関係ない、と思う人もいるということだろう。
(3)聖徳太子の具現化
ミレニアム世代の相手から何かしらの質問を受けて回答をしている最中に、別の話題を話し始める。話を聞いてるのか!と思いながら、こちらが何を話していたかを確認すると見事に言い当てる。全員が全員とは言わないが、同時進行の内容を覚えている人もいるのだなと。
(4)メッセンジャーやLINEのためなら歩きも止める
これは特定の人だけだと思うが、私の感覚だと歩いている最中にメッセージが届き返信をしなければいけないならば、邪魔にならないところに行き、足を止めて返信をする。多くの人はそうすると思う。しかし、一部、その場に立ちどまって返信をしている人もいる。あるいは歩きながら遂行している。ながらが上手いというのだろうか。もちろん一部の人にとって邪魔になっている迷惑行為にもなるのだが、この際、そういう人を注意していくより、そういう人が増えたと受け入れていく方がストレスフリーだと思う。
(5)小さいころから本を読ませなさいは、ナンセンス
私は本が好きだったから、子供の頃から何冊も読んだ。図書館が好きだったし、暇なら図書館が暇つぶしの場所でもあった。でもそれは、紙がデフォルトだったからだ。ミレニアルは、デジタルがデフォルトなのに紙媒体を無理やり読ませ、読書が嫌いになったら本末転倒。
読み聞かせのYouTube、Audible等のサービスの利用がいいかと思う。もともとながら好きなんだし、読み聞かせ動画やメディアは最適だと思う。
(6)辞書は必要ない
ミレニアル世代の辞書は、GoogleでありInstagramでありTwitterだ。私までの時代は、正しいものが勝利する時代、これからは勝利したものが正しい。それがSNSでありAIだ。辞書は、人間の力で蓄積した知識の本だったが、今はAIが自分でどんどん学んでいく。辞書とは異なり、人が使う言葉やフレーズありきの意味が構築されていく。今までは、広辞苑の定義があり、正しい日本語そうでない日本語と言われたかもしれないが、今後は何を正しいと定義するかだ。現代人が使っていない言葉を正しいとし続けたが故、日本はここまで古い習慣を引きずり過ぎたのだと思う。
もちろん、古き良き時代、という言葉通り、古くてもいいものはなくなっていないと思う。例えば、日本国民の民度は、いい例だと思う。なんだかんだ言って、自主的に綺麗にする文化は、受け継がれてきている。
一方で、今は認印がなくなることを大きく抗議している団体がいるが、使う側から言わせてもらうと、判子を強制的に押させられたから判子を買っているし持っている。そうでなければ絶対に使わない商品だということを知っていてもらいたい。この長きにわたり、何もイノベーションをしてこなかった業界であるあなた方の責任だし、ずっと公文書に必要なものとして胡坐をかいてきたつけだと廃業を認めるか、新たなイノベーションをすることである。電子捺印は生き残るわけだから、そこに活路を見出すが、漬かっていた技術を使って新たなものを作るかしないと廃業だろうと思う。
(7)従来の広告の力は衰える
テレビや雑誌を見なくなってきたから広告を見る機会が減ってきたというのもあるが、何と言っても広告感が少ないのがインフルエンサーのいいところである。最近では、ニュースアプリの中に広告を紛れ込ませているか、コンテンツマーケティングをしているが、私は広告と書いてあればクリックしない。
作り込んだコンテンツより、普通に使っている中で良さを見た方が面白いし実用的だからだ。しかし、広告は基本的にSNSの資金源になっているわけなのでなくなることはないとは思う。広告の需要が亡くなれば、インフルエンサーやYouTuberに払うお金も無くなるわけで、そうするとまたビジネスモデルが変わるか、Youtuberが淘汰される日が来るのかもしれない。
(8)自分が発信源
ミレニアルまでの世代は、アップロードをすることに危機感を感じている人が多かった。写真は簡単に盗まれるからだ。しかし、そんなことは気にせず、どんどん情報をアップしていくのがミレニアル世代だ。自分がニュースキャスターであり、宣伝主であり、教師であり、エンターテイナーなのだ。この衝動は誰にも抑えられないし、現に素人の投稿により事件が明るみに出たことも多い。これによりTVのニュースより情報が早いということが証明されてしまった。
(9)フォロワーが欲しい、共感したい、されたい
ミレニアル世代の特徴で情報発信に対価としての醍醐味が承認欲求を満たされるということだろう。就職氷河期の時代までの世代は、多くが承認欲求に飢えている。誰も認めない暗黒の時代が長く続いたからだ。多くのSNSは、いいねの数かフォロワーの数で自分の視聴率の競争をしている。それだけTVチャンネルがあるということだ。TVなんか見ているより、自分が好むカテゴリーのチャンネルが無限に増えていけば、エンターテイメントも無限に楽しめる。
特徴はまだまだあるが、今列挙したのは、全てミレニアル世代が「ながら」て行っていることばかりだ。列挙したもの一つのアクションをするのではなく、必ず何かと組み合わせて行動に出ている。
今まで写真を撮るだけであれったのが、撮ればインスタへ、いい景色があればTiktokへ、TiktokをアップすればFacebookにも連携で同時にアップ、など常に複数を同時にこなすことが多いだろう。
最近の若者は本を読まない、言っている人ほど、Audibleで本を聞くことを認めないのではないかと感じる。しかし、耳から入ってきている情報をわざわざ重い思いをして持ち運ぶこともない効率性もあるし、本は自分にとって響くところだけ読めばいいと思っている。それにAudibleは、歩いていても読み続けられるので、歩くのが好きな私には好都合だ。
Audibleは、私が子供の時代からあったはず。カセットテープでオーディオブックのようなものが売っていた。小学校で教科書の内容を読むカセットテープを聞かされたと思うが、あれがまさしくAudibleだ。
一度は読んでおいた方がいい文学を読んだことない子供も多くいるかもしれないが、字が小さく、堅苦しく見える本だから、本の良さに気が付く前に試すこともしない。しかし、オーディオブックであれば、風呂に使っている間でも聞ける。
「ながら」が主体になる世の中を生き残るなら、ゆとりやミレニアルに頭を抱えるのではなく、どう取り込めるか、何を教われるかを真剣に考えた方がいいだろう。