適当な人事担当が飽和状態

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この記事を読んだ時に、そう思っている人が自分だけでなくて安堵した。

日本で転職が難しいだとか、職と職の期間が開いていると次の内定をもらいにくいとかという固定概念を作ったのは、他でもない、自分の言葉で話をしていない人事だろうと思う。

仕事を指定な空白期間を聞いて仕事をせずに気分転換に遊んでいたとしたら何だというんだ?といつも疑問に思っていた。一つの職務を終えて長い休暇を取ることと、今まで見たこともない会社の人事や将来の上司にどんな悪い影響があるというのか、全く分からなかった。

空白期間に遊んでいた内容を純粋に楽しんで聞いてくれるのなら、喜んで話すが、そんな正直な面接担当官はいない。というよりも、日本で「圧迫面接」と言われるものがあるので、それを攻略するためのスキルを模擬面談で教えよう、みたいなクラスを受けさせられたことがある。

こういうクラスを作ってくれたことは感謝するが、自分を押し殺して採用されたならば、採用後も押し殺さないといけないではないか。外資系の圧迫面接、なんて当時聞いたけど、海外では圧迫面接とカテゴライズされないと思う。もともと、ストレートに必要なことだけ聞いて、興味を抱ける回答がなければ採用はなし、とするだけの話である。

日本の圧迫面接を受けた人、またはそういうクラスを開催してくれた人の中に、どれだけ海外の面接を経験した人がいるのかを問いたい。これは、日本という文化が選考から落とすために考えた面接の手法だ。もし、議論を論破する程のスキルを持った人が欲しい場合は、ディスカッションの面接を行います、とアナウンスをし敢えてそういう面接を設定すればいい。圧迫などする必要はない。

100社、不採用なんて序の口

よく就職氷河期の世代に焦点を当てた記事やドキュメンタリーがあり、古く狭いアパートの中にいる一人の青年が、もう100社も不採用通知を貰いました、と落ち込んだ姿を映している。

筆者も100社なんて、とっくに不採用通知を貰っているし、それ以外にも土すら送ってこない多くの外資系企業も致死量いる。転職市場では、紳士協定があるのだが、一度応募して不採用を貰った後、1年以内には、他のリクルーターを通しての応募は禁じ手となっている。

最悪なことに、筆者は応募しすぎで不採用過ぎて、新たにリクルーターからくる案件が1年以内のものが何度もかぶり、応募さえできない状況にもなった。最終的には、転職活動から不採用が1年半続き、その間に同僚数名が退職、その転職の斡旋を自分のリクルーターにする紹介業ボランティアにまでなっていた。

もちろん、それがきっかけで取り急ぎ同僚は次の職場が決まりそれ自体は非常に喜ばしいことだ。

100社で落ち込んではいけない。よく聞くんだ、先輩方!下には下がいる。自分の目で社会の最下位を確認するまでは、落ち込む必要はない。ましてや死ぬことなんて考えてはだめだ。もしそれで死ぬのであれば、筆者は今頃、天界で、今日の不採用はだ・れ・か・な・・・なんて見下ろしていることだろう。

誰でも絶望中は世界で一番みじめ

絶望の感情の中にいる人、うつ病にかかっている人、色々といるが、その感情から抜き出れた人は、今思えば絶望界では、まだ上位ランクだったなと思える時がくる。しかしながら、絶望中、鬱病中には、そんな言葉は何の意味もなさない。言い換えれば、鬱や絶望的な人に限らず、誰もが目に見える結果を見られれば復活できるのだ。

復活するまでが非常にしんどい。なぜなら、他人は助けられないからだ。しいて言うなら、自分と全く同じレベルの絶望感、鬱病感がある人と共感できる瞬間が何度もあれば、何とか凌げるのだ。大抵そんな人は存在しない。いたとしても、そういうコミュニティを探そうとか、参加しようとか思えないから鬱であり絶望なのだ。

筆者は、そういう人が周りにいるが、どういう状況であれ「頑張ることはない」とだけ伝えている。自己破産をしたことがなければ、自己破産イコール未来がないと考えるだろう。自己破産から復活した人は、自己破産=再起可能と考えるだろう。

初めて筆者が30前半でレイオフを食らった時、かなり落ち込んだ。自分が解雇されることはないだろうと振舞ってきたからだ。しかし、その後、レイオフを言い渡されなくても、会社が筆者を解雇しようと画策している現場を何度か味わった。結局、誰でも追い詰められれば自分を守るものだ。守る行動があれば、犠牲になる行動もまたある。

初めてのレイオフ後は、幸い直ぐに転職先が見つかったことで事なきを得た。人によると思うが、こういう状況を、「捨てる神あれば拾う神あり」と考えられ、拾ってくれた企業に多少なりとも感謝の念を抱くことが出来る。

かくいう筆者もレイオフ後には、営業という職は初めてだったが、いわゆる泥臭い食品営業というものに就いた。営業をしたいと思っていたのは事実なので、それはそれで楽しみだった。しかし、泥臭さは昭和を思わせるほど、古臭く泥臭く人間臭かった。今でいえばブラック企業と呼べる企業かもしれないが、卸と食品業界の闇を見せてもらったことは非常に勉強になった。業界に入るまで全く知らなかった業界の悪しき常識をここでいくつか紹介しよう。海外の日系食品業界2009~2013年の悪しき習慣を紹介する。

セールをして利益が減るのはメーカーだけ

これは、悪しき習慣かどうかは分からないが、利益的にはWin-Winにはならないので一応書いておきます。

消費者である時は、セールは店舗が消費者に還元をしているものかと思っていた。食品業界に入り、セール品の安くなっている分の利益を全てメーカーあるいは卸が持っているということを知った。

この国は米国だが、米国では卸で働いていた。例えば、店があるものを30%オフで販売したいとなった時、オフ分を全て卸が割り引いて納品する。店はいつもと同じ利益率を乗せて売るだけ。そこで什器等が必要となれば、メーカーが無償提供をする。まさに殿様商売なのだ。

店舗が自助努力をしない

セールに似ているが、店舗が普通に仕入れをする。米国は賞味期限の日まで普通に販売するのが一般的。賞味期限を迎えた商品は、全品そのまま卸に返品し返金を強いられる。このため、事務所には毎月末、多くのクレジット処理の紙が散見される。

また卸に過剰在庫があって原価を割って納品を一定数したとする。売買契約上買取の契約なのだが、セールで売り切れなくなっても返品される。

ここまではアメリカの話。

日本に帰国してメーカーで働いた際、卸も店舗も中身は無事でも外箱段ボールの角がかすかに凹んでいても返品をしてくる。そもそも段ボールは中身を守るためのもので、幾分ショックが外部からあったとしても、中身を守るためにある。しかし、日本では段ボールが商品とみなされ返品される。仮にその段ボールを積み重ねて、エンドで販売するとするならば段ボールが綺麗に見えた方がいいのは当たり前なので理解できる。しかし、戻ってくるのは、そういうことをしない店舗からだ。

メーカーや卸にもよるが、返品されたものは通常ルートでは販売しないところがある。となると、返品が全て販売不可商品となり無駄になる。

正直、ここまでの返品は過剰だと思う。このアクションは悪しき習慣を単に理由も分からず現場が踏襲しているに過ぎない。

次に、日本の食品業界でもメーカーで働いている時、店舗から賞味期限の理由で卸に返品され、それをメーカに返品されメーカーだけが返金する仕組みになっている。恐らく卸が大企業で返品を断ることが出来ない構造なのだろうが、売買契約が買取になっていてもこういうことは未来永劫続く。

日本の契約は、形だけ。そういう悪しき習慣を総務省がテコ入れをして欲しい。日本で食品以外のメーカーで働いた際、卸経由で注文は入るものの、配送は直接配送、まとめて在庫も取らない、いわゆる伝票起伝のみの機能を果たしている。卸は小さいメーカーの売込はしないし、達成リベートも実施しない。したとしても、毎月未達、何年も未達、というところも多い。

そんな自助努力をしない卸に、店舗よりも安い値で販売する義理は正直ない、とメーカーサイドは思っていると思う。自助努力はしないが、利益補填だけは欠かさず求めてくる。

義理と人情は双方がそう思って初めて成立

日本のビジネスが海外と違う理由として義理と人情を重んじるところがある、と日本文化のいいことのように話す学者さんも未だいる。そうかもしれない、もし、双方がそう思っている行動をとるなら、の話だ。

先程も卸の例であげたが、卸はメーカーに義理と人情を求め、メーカーはいつも仁義を切ってビジネスをしている。だから、店舗が実施したいセールがあるとしてメーカーもその価格で卸すことを同意しているとする。しかし、ルートとしては、メーカー→卸→店舗となる。ここで卸がセール価格だと通常価格より売り上げが下がるため受けたくない、ということがしばしばある。それで、このセール企画はとん挫。店は販売機会を失い、消費者もそんな機会が起きる可能性があったことも知らないまま、商品やブランドは埋もれていく。

このように、仁義を切ってもらえることにご満悦にになっている卸は、度々営業妨害に近い行為を知らず知らずに行っている。

卸でもメーカーでも働いた人間として、この二つの業種には、矛盾する思惑が存在する。

卸:俺たちが売ってやってるんだから、メーカーに指図される覚えはない。

メーカー:ポテンシャルの高い他の卸が手を上げれば、すぐにでも切り替える。または自分達でコスト効率を上げられる仕組みができれば、直接やる。

お互いに信頼関係が崩れているのである。しかし、そんなことは卸も知っているわけだが、日本の売買契約書は海外のそれとは異なり、一般的な内容しか書かれていないことが多く、ほぼほぼ半永久的に続く。それは契約書に、契約が切れる条件が書かれていないからだ。

海外の契約書は、まず年間の販売数量の目標が3年分ほど書かれてある。仮に卸の販売が不振でも、メーカーから提示されている金額分を仕入れている場合は、達成とみなされる。過剰在庫を解消するために、そのメーカーの商品を集中的に売ることになる。それが普通だ。3年経過して、メーカー側が契約を継続するか否かを決める。そのため、契約書は、必ず契約更新がある。日本の契約書はほぼない。ほぼと書いたのは、筆者が経験した業種の中では一つもなかったからだ。

アマゾンが卸の機能をしてくれたら現卸企業は壊滅

これはアマゾンに限らないが、上述したように、現卸企業は、昔の在庫をまとめて買ってくれて多くの店舗への配送を請け負ってくれる、その費用が浮くために卸との売買契約をメーカーは取っている。しかし、もはやその期待は崩れ、起伝屋になった卸は正直必要とは感じていないメーカーは多いはず。

ヤマト運輸と一旦離れた際に、自前の配達部隊を創り上げたアマゾンが、本格的に運輸をやると言ったら、卸はいらない。卸を通そうが、昔も今もキーアカウントの営業はメーカーがやっているわけだし、本当に卸は何年も運び屋となっている。運び屋に安く提供する必要はないだろう。アマゾンが配送料を持つ代わりに月額売上x一定%を請求したとしても卸へ卸すより安い。

海外の卸はビジネスライク

海外の事業所に聞いてみると、売買契約を結んでいる卸は、メーカーのように動いてくれるとのことだ。もちろん、その労力に報いるためにかなり低い価格で卸している。しかし、在庫を取ってくれる、各店舗へ配送してくれる、自社の費用で販売促進をしてくれる、店舗のマーチャンダイジングをしてくれる、英語の文書をローカルの言語へ翻訳し展開してくれるなど、日本の卸ではやらない事ばかりだ。

卸が今のような状態になったのは、淘汰することがなかったからであろう。またメーカーが帳合というのを重要視してきたからだろう。帳合こそ仁義の世界の話だと思うが、帳合が故に安いルートを店舗も使えない。後は、仕入れ先は少ない方がいいという店舗側のニーズもある。

先程も言ったが、アマゾンが仮に卸をやってしまったら、仕入れ先はアマゾン一つになる。しかも、全国をカバーし、カテゴリーも存在するカテゴリー全てをアマゾンの配達一つで出来てしまう。言ってしまえば、ホームセンターの仕入れ先がアマゾン1本で出来ると言っても言い過ぎではない。

ロジスティクスを制するものが市場を制す

多分、アマゾンの言葉だったような気もするが定かではない。しかし、この言葉は本当だ。今の卸が生き残っているのも、この一点に尽きる。が、直送をメーカーに求めている卸は、この機能すら果たしていない。メーカーがロジを制することができれば問題はないだろうが、受ける店舗側は仕入れ先が少ない方が良いというニーズは満たせない。やはり、全国的にロジを制しているところがベストであろう。

では、佐川やヤマトは違うのかというと、彼らはロジしか持っておらず、ロジは制しているが市場は持っていない。全国的な市場を持っていてロジも持っているアマゾンは、今後も脅威になるはずだ。

正直、アマゾンの自前の配送が全国的に展開されているのかと聞かれると分からない。しかし、もしできているのだとしたら、それをビジネスモデルとしない理由はないだろう。個人的には、アマゾンには頑張って卸業界をせん滅してもらいたい。それで困るメーカーもいるだろうが、昔ながらの卸のみに頼り、それが唯一の売上の上がるチャネルだとするならば、将来的に淘汰は免れない。今からでも準備をすべきだろう。

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