助けを求める人に神は降りてこない

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「報道の後、ホンダの下請けの2社が、慌てて相談に来ましてね」

 と言うのは、さる中小企業専門の企業コンサルタント氏である。

「エンジン部品を作っている、従業員100人程度の会社です。ホントにすべて『ガソリン車』から置き換えられるのか。そうなったら、ひとたまりもない。何とかできないか、と」

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こういう企業は、自助努力が出来ないシステムで出来た企業なので、遅かれ早かれ廃業に追い込まれると思う。

ドラマでもリアルでも、下請けとして大企業の受注で企業が成り立っている企業が、その企業から受注をストップされて倒産や廃業に追い込まれるというストーリーを見たり読んだり聞いたりするけれど、大企業からの受注を受けている間に、その大口がなくても生き残れる策を練っていない経営者の怠慢だと思っている。

日本にはそういう企業が多く存在していると思う。様々な記事で、大企業も大きく戦略をシフトすることを余儀なくされている。トヨタも今回のガソリン車をなくすという方針で自動車産業を分かっていないというコメントをするよりも、リーディングカンパニーとして新たな指針を指し示さなければならないと思う。

今までの常識は、未来では存在しないことは多々あるはずだ。今まで常識的に考えられなかったことが未来では常識になったりする。自分一人の力ではできなくても、常にそう頭の中では考えておかなければいざという時に動けない。

これからは、常識の中で生きている人間は戦力とはならない。

この記事では、こういう企業が半世紀以上も生き抜いてきたというから驚きだ。驚きなのは、企業のことではなく、他力本願な企業が半世紀以上も生き残れる土壌が日本にあったことだ。

以前、未来人が取りざたされた時、未来に残っている大企業はあるかという質問の中にトヨタなどの自動車のビッグプレイヤーが入っていなかった。唯一ソフトバンクの名前だけが残っていた。

勿論、未来人を信じるか信じないか、の話になるかもしれないが、ポイントはそこではなく、あの話が事実ではなかったとしても、この記事を読むと、トヨタが自動車の会社として生き残っていなくても不思議ではない。

元々紡績工場だったわけだし、他の業種へ変えて今があるのだから、ガソリン車が亡くなる時代が来たとしても、十分に戦略をシフトできそうだと筆者は思う。もしできないのなら、淘汰されるしかないのかもしれない。

人間は思ったことしか行動に出来ない

筆者は、大学の専攻が心理学だった。その時に覚えたことの実に9割以上は忘れたが、その中で覚えていることで、

人間は思った通りに行動をする

というものがある。

至極当たり前のことだと当時思っていたが、後になるほどと思った。

例を挙げると、同じ70代で未だに現役で仕事をして、コミュニケーションもLineのスタンプをフル活用、Google Mapを見ながら、新しい場所でも一人でどんどん行ってしまう人もいれば、自分はもう歳だからと定年後、何もせず家にいるだけの人もいる。

40半ばまで筋トレをしなかったがりがりの人が、パーソナルトレーニングを受けて、マッチョな50代になる人もいれば、時間がないと何もせずの人もいる。

例で挙げた前者も後者も思った通りに行動に出ているに過ぎないということだ。両者ともに自分で決めた道を歩んでいるだけ。両者に70過ぎても仕事は現役、筋トレも欠かすなと強制をすれば、両者ともにし続けるんだと思う。

言い換えると、物理的に出来ないのではなく、心理的にしない方を選択しただけの話である。

先に挙げた企業も、新しい生き残りの道を模索するという道を選んでいないだけということだ。半世紀も生き延びた企業であれば、技術力はあるはずだ。新たな道を模索するには、時間もお金もかかるということで最初から断念しているのだと思う。

お金がないということは、利益をあまりとれておらず蓄えがないという解釈をしても、大きく間違えてはいないと思うが、半世紀の間、剥離の事業を続けたのも、そう決断したから、そういう行動をとっているに過ぎない。

自分達で選んで追い詰められたのだから、助けるべきではないと思う。困ったときにだけ、神にすがるように駆け込んでくるが、医者も教師も神様も、本人が生き残ろうとしない人を、生き残らせるのが仕事ではない。生き残ろうと必死に努力している人のところに降りてきて、少し力を貸してくれるに過ぎない。全ては、自分の力で決断し進まなければ成就は不可能だ。というよりも、不可能になるような世の中にして欲しい。

今の日本の良くないところは、自分で改善しようとしていない人に、支援をして生きながらえさせているところだ。自分の努力だけでは、何も変わらないのも事実なので、そこは筆者も理解できるところ。しかし、他の助けが得られないと仮定して、自分達の出来る範囲で現状を打破しようと考えようとしないのとは意味が違うと思う。

考えたことまでは人間は行動に移れるからだ。出来ない、と思った時点で全ては終わると考えた方がいい。廃業に追い込まれた多くの企業が

  1. ダメージを最小限に抑えるために早めの廃業を決意
  2. 支援支援で生きながらえたがゆえに負債が最大限にまで膨らんで倒産

のどちらかだろう。

1は、これからも再出発が出来る企業やオーナーだと思うが、2はもう経営はやめた方がいい。そもそも、事業を始められたのは創業家がその才覚があっただけのことで、継げる資質がある人がいないのであれば、売却すべきだと思っている。消去法や家族だからという理由で後を継がせることが、非効率企業の増産に繋がってしまうことも否定はできない。

創業家のやり方ではだめだと、思い切ったかじ取りをする優秀な後継ぎもいるが、一握りに過ぎない。

その人握りの優秀な後継ぎも含めて、変わらないければ、というビジョンがあったことが生き残っても尚健全な財政状態でいられる所以だと考える。

見切り発車は、日本では嫌われることが多いが、筆者は、見切り発車こそ、解決の糸口だと思っている。

やってしまった場合は、少なくとも何かしら利害関係のある人が出てくるため、途中でやめるわけにはいかない。そのため、失敗したと思っても最後までやり遂げることだろう。それが、重要で、そこから更にアイデアも生まれてくる可能性が高い。日本では、見切り発車を受け入れる下地が揃っていない。それは、実際に考える人が恐ろしく少ないことを証明している。

問題解決能力に非常に乏しいのが日本の国民の特徴。日本国民の民度が高いと言われるのは、問題が起こる前の予防に長けているという点だ。この点に関しては、秀逸と言ってもいいだろう。勿論、やり過ぎだと思う事も多々あるが、それでも、世界的にみてここまで細かく予測している国民は他にいないと思う。

その弊害が、ここまで細かくサービスを受ける側も、それなりに細かいところまで期待をしてくるという点だ。それが考えることをやめさせてしまう結果となっている。今の日本に必要なのは、適度なバランスだ。コロナを機に大きく日本が変わってくれることを望む。