苦手を克服する vs 得意に磨きをかける
得意に磨きをかける
「苦手を克服する vs 得意に磨きをかける」の私の結論は、
得意に磨きをかける
です。
これは、あくまでも考え方であって、人によって実績や感じ方が異なると思います。
私の過去の経験で自分に当てはまることや、他人と共感できる真理としては、苦手を克服するという考えは、FACT(実態)よりも精神論が根底にあるように思う。
一番わかりやすい事例では、学校の成績や会社での成績だと思います。
英語が超得意で国語が超苦手な生徒だった私は、苦手だった国語に対してなぜ苦手になったんだろう、と思いました。
英語は、そもそも外国の言語。
一方で国語は母国語。
冷静に考えて、誰でも母国語が強いはずなのに、国語となると苦手になるのです。
受験のスタートで日本史も国語並みに成績が悪かったですが、同じ悪い点数でも、国語に抱く感情と日本史でのそれは、異なっていました。
国語は、なんでできないんだろう→理由が分からないから、さらに抵抗が高まる
日本史は、出来ない→でも歴史自体は面白い→抵抗はなくなる
国語は点数のために勉強するのに対し、日本史は点数より「もっと知りたい」が先行していました。
結果、日本史は、得意ではないけど、好きな科目、得意か不得意かのカテゴリーで言うならば、得意分野へ感情は移行していきました。
国語ができない疑問に追い打ちをかけたのが、読書好きだったことに対しての矛盾です。
国語って読書が好きであれば、自然と得意科目になるイメージありますよね。
私は、小さいころから、読書が好きで本ばかり読んでいました。
通学中も電車の中では、常に本を読んでいました。
試験になると、点数が悪いのです。
そうすると、ますます国語だけが好きではなくなり、得意不得意のカテゴリーでいうと不得意のまま学生時代を終えることになります。
もしかしたら、国語が克服できれば、国立大学へ行けたのかもしれない。
そう思うことはあるけれど、得意科目と、好きな科目だけを追いかけてもいいと思います。
なぜかといえば、好きでないことをやらなければ受け入れられないところに入ったとします。
そういう場所でも、必ず自分が苦手だったことと対峙することになり、それが原因でその場にいたくなくなっていくものです。
つまり、自分の将来の方向性を決めるうえで、苦手を克服しないことが一番近道なのです。
周りと足並みをそろえて進むと、最後まで、結局私の強みは何だったのかがぼやけます。
一方で、私は英語だけが得意でした。
高校を終えて、アメリカへ留学しました。
帰国して外資系で働いています。
この3行を読むと私の強みは英語だったんだとわかるでしょう。
自分をブランディングしてきたつもりはないけれど、自分の意志に対して忠実でいることが、他人から見て分かりやすい、ブランディングが出来上がっているのです。
苦手を克服して、得意を凌駕した経験をお持ちの方はいますか?
この経験は、自分自身ではありません。
また、他人を見ていても、まだそれを見たことがありません。
会社の部下で、恐らくこのお客さんを苦手としているんだろうな、と思うケースがあります。
何年たっても、そのお客さんの数字が上向きになることはありません。
かといって、苦手を克服するよう指示もしません。
それは、自分が指示をされて、苦痛を感じながら営業を続け、多少の数字の回復はあったにせよ、会社が期待するほど目立つ回復を経験したこともありません。
得意なものであれば、誰でも、それについて自主的にあれこれ考えます。
上手くいかなければ、うまくいかなかった原因を自主的に探り、新たな提案も自主的に見つけ提案し、など、なんでも自主的に動くことでしょう。
その自主性が成長につながります。
つまり、得意に磨きをかけることは、技術の向上だけでなく、自身の成長をも達成するのです。
苦手を克服することが、多くの場合、徒労で終わるのは、「なんでやらないといけないんだ」のような感情が大きくパフォーマンスの向上を阻んでいます。
グロースマインドセットでないものは、成長にはつながりません。
いくら部下に強要しても、あなたの成績ごと、一気に下がっていくことでしょう。
あなたが上司の場合、部下が一人しかいないのであれば、部下の苦手部分(顧客)は、あなたの成長戦略から外し、部下の得意分野の中で戦略を設計した方が、部下のメンタルにおいても、技術のパフォーマンスにおいても建設的で達成した時に心から満足できる自信を得るでしょう。
あなたに言われて、いやいや苦手なことを続けて、それが自分の成績の達成につながったとしても、部下本人は、「どうせ自分が信じて進んだ道ではないし、結局、上司の言っていることが正しかったということを証明させられたにすぎない」と心の中で思うものです。
上司であるあなたが、プレイングでない限り、部下の成績が、そのまま、あなたの成績になります。
部下が複数いるのであれば、誰か一人でも、その苦手分野をそつなくこなせる人がいれば、その人に全て任せるべきです。
基本的に司令官であるあなたが口を出すのは、出さなければ、明日の会社の存続も危ぶまれる、くらいの危機的状況の際に、トップダウン管理で口を出すしかないでしょう。
それ以外は、部下に任せること、任せた以上、最後まで本人の意思と感性で完遂させることが重要だと思います。
苦手なことをさせられて、嫌な思いで決して得意に変わることもなく、部署の業績がいい成績を収め、苦手である自分が表彰されたとしましょう。
そんな表彰さえも素直に喜べず、苦手なので不完全で終わった感覚が強く残っており、上司が部下を大事にしている姿を見せつけているパフォーマンスに見えたりもするのです。
つまり、無理やりやらせると、いいことまでを悪い解釈をするように心がゆがんでくるのです。
それくらい、苦手なことを続けることは苦痛なのです。
冒頭で、苦手を克服することは、一種の精神論だと言及したのは、苦手克服の行動自体が、自分が学生の頃に水も飲ませてもらえず部活を続けさせられた、「気合で乗り切れ~」の精神論がもとになっているような気がしてならないからです。
なので、苦手なことを克服したいという自分の意志がないのであれば、無理に克服しなくても、明るい未来は、他にもまだまだあると考えて下さい。