時代の変遷

オンラインゲームでは月額課金が主流だった時代

著者は、その昔、米国オンラインゲームの開発会社に勤めていた。

働くようになるまでゲームは好きだったが、オンラインゲームをプレイしたことはなかった。課金というのが自分にとってのハードルだった。コンソールが流行っていたその時代、ゲームにお金がかかるのは、コンソールかゲームを購入した時のみ、という概念から離れることができなかった。

月額課金にハードルを感じたのは、

プレイをしていない時もお金を取られてるというイメージ
一度課金すると解約が難しくクレカを停止するまで課金され続けるという思い込み
そもそも、そんなにオンラインゲームの種類を知らない

などの思い込みが激しかった。

当時のオンラインゲーム市場は、非常に成長を遂げており、上で述べたような観念を持っていたが、世の中は既に次の段階へ進んでいた。

 

月額無料、アイテム課金

自分が入社した時、米国産の課金形態はまだ月額だったが、中国や韓国においては月額無料という時代に既に突入していた。確か日本も。ゲーム版の楽天のようなポータルサイトが普通になり、やりたいものは無料ダウンロードでお試しすることが普通だった。

この形態は、ソーシャルゲームが主流になった今に至っても続いている。

e-Sportの時代へ

ゲーム産業は、プレイして楽しむから、プロ化してマネタイズする時代へと突入。書写が子供のころに抱いた、遊んでお金を稼ぎ、それで食っていくというスタイルが現実のものになった。

ゲーム会社に入社したのは2000年前半なので、実に20年の間に、子供の頃の夢が普通に果たせる時代になった。

日本では夢の実現が難しいのは何故?

上に書いた変遷は、世界の動きであり、日本関して言えば、遅れをとっていると言える。むしろ、この分野の開発力ではトップクラスの日本がe-Sportsに後れを取ったのは、文化的に産業化を望まず啓蒙や道徳を重んじているからなのかもしれない。

学生の頃、よくゲームや漫画を禁止されマンガ本は何度も捨てられた経験がある。

大学を卒業し、米国で4年間教員をしたことがある。日本人も外国人も混ざっているインターナショナルな学校だった。ここでマンガは禁止されていた悪い存在から、テキストへ早変わりする。マンガにはいい要素が2つある。

  • 文字を読む練習になる

  • 画が書かれているので意味を理解しやすい

海外に在住する日本人にとっては、現地語と日本語が脳に入り混じりながら、どちらが母国語なのかという混乱の中、勉強をしていかなければいけない。そんな中、絵がついていて文字を読み進めることでストーリーが面白くなっていくマンガは決して禁止すべきものではなく、奨励すべきものだ。現に私の生徒でマンガを読んでいる生徒は、読み書きがよくできた。

ゲームも同じ。著者が受験勉強の時代まで遡る。ゲームを禁止する風潮は、大人が子供にゲームばかりして勉強しない(宿題をしない)を手っ取り早く解消したいという欲求が少なからずある。表向きは、

  • 目が悪くなる

  • 脳が受動的になる

など言われたりもするが、科学的な根拠は大事なものの、弊害ばかりを取り上げて社会をコントロールしようとする圧力はあまり好きではない。タバコがいい例で、たばこは副流煙を大きな理由に禁止する動きが世界的に広まっている。しかし、自分が子供の頃は、かなり多くの大人がタバコを吸っていたわけで、駅構内。新幹線内、飛行機内、レストラン、家の中、どこにいても吸っていることが普通だった。しかし、たばこの副流煙が原因で癌になり死亡したという新聞記事を何件見たことだろう?恐らくない。

それよりもアルコールの方が、酔った勢いで車を運転し人を死亡させたり、酔った勢いで人に危害を加えたりなど、2次災害も多いにもかかわらず、素通りされている。匂いが嫌だというのは、たばこに限らずお酒だってそうだ。

話は戻って、ゲーム頭を否定する人もいるが、ゲームのやり方によっては、考える力も確実に養っている。YouTubeでつわものゲームプレイヤーの動画があるが、あんなのもゲームプレイの積み重ねで得た技術だ。アスリートと何ら変わりがない。デジタルリテラシーも高まる。今では、ゲームのつわものはYouTubeでお金すら稼げるようになっているだろう。

倫理観の強い日本は称賛もよくされるが、その裏で歴史や前例のないことにかかわることを忌み嫌う。そういう世代が日本には多くいるから仕方ないと片付けらることばかりだが、片付けるべきではない。

どうしてグローバルの中でフロンティアになろうとしないのか?

その国民性こそが日本で夢を現実にできない大きな理由だろう。

日本が世界にいまだに誇れるものと弱い部分

日本がグローバルで未だに誇れるものは、モノづくりの繊細さと質の高いサービスの二つだと思う。ただ下手なのは、この二つの能力に関して、同じ質の高さを海外のレベルにも浸透させようとするところ。言い換えると、「どうしても必要な機能やサービスだけを残し、あとは捨てる」という捨て下手だろう。

著者が米国に在住していた際、LGの家電がよく売れ、パナソニックソニーといった日本メーカーのディスプレイが少なくなっていた。単純に価格差が要因している。

テレビを例に挙げてみよう。LGと日本産のTVを比較しよう。TVをTV番組を見るということだけにしか使わない人にとっては、TVさえ見られればいいし、画像の良しあしは、素人では大きな違いを見つけることができない。であれば、安い方を購入するだろう。

長持ちするかどうかは、購入するときには優先順位に入らず、あくまでも今買える値段かどうかが優先順位となる。であれば、他の機能を捨てて、きれいに映る、それだけに集中してコストを削減するのが一番消費者に還元できている。

マーケターは、差別化という言葉をよく使うが、消費者として著者がTVを買おうと悩んでいた時、

  • サイズが55以上
  • 価格

の二つしか検討材料はなく、価格で悩んでいた。

何か月も同じ店に通い、安い機種が出ないかを確認していた。米国の時の記憶をたどり店員にLGはないか?と尋ねるとあるけどディスプレイはしていない。国内産を選ぶ人が多いから国内産に絞りディスプレイしているとのことだった。

ある日、LGが店頭に並べられ、分割で購入できるが無利子でOKという広告を見てそのLGを購入した。

消費者には、いろいろな考えをもって購入される人が多いが、著者のように金額が最初のハードルと思っている人は多いのではないだろうか?TV初めて置く部屋のために購入するのであれば、TV台も必要となり、できるだけ出費を抑えたいところだ。

日本メーカーも、各国のConsumer Insightはよく調査してから商品投入をした方がいい。これだけの機能を知って活用できるのは、日本くらいのもの。海外は、かゆいところに手を届ける必要がないくらい、かゆいところがないというのも事実。それくらい恵まれない国が多いともいえる。

米国は恵まれている国かもしれない。しかし、医療に関しては、技術は恵まれているかもしれないが健康保険には恵まれていないと思うなど、中途半端に恵まれていないことは多いのだ。

日本の恵まれているところは、民度。ここまで何も言わずにルールを守ってくれる国民は他の国にはいない。そこにメーカーも行政も甘えている感は否めない。それが日本の変化の速度を妨げてもいるという皮肉な事実かもしれない。