雇用優先順位

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国籍ではなく、働く人を守っていくべき

 米国での雇用を見てきた経験から、失業率が高いと、外国人を優先的に切っていく。理由は、アメリカ市民の雇用を確保するため。国策として非常に理解できる。国民を守るのが国の仕事。

しかし、冷静に考えると、所得税を払っているのは外国人も同じ。もっと言うと、建設現場で日給現金払いをしているアルバイトで、所得税を払っていない人がいたとする。国は、毎回違法移民を例に挙げるが、アメリカ人も同じ。

違法移民や移民にあまりいいイメージを持たない人も多くいるかもしれないが、それは彼らの働きを知らないから。

レストラン周りの営業をしていた時期、注文取りのバイヤーや店長で抜擢されていたのは、外国人。

メキシコ人

メキシコ人は、店のオーナーになるというよりかは、雇われる側に多い。全てのメキシコ人を見たわけではないが、レストランで働いているメキシコ人は、ルーティンはしっかりやるし、若くして家族を持つので、仕事の大事さをよくわかっている。副業が2こ3こあるのも当たり前。そして、長期間働いてくれる。ある意味、首になるまで真摯に働いてくれる。

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もちろん、オーナーがそれなりにケアをしてくれ、評価をしてくれるからというのが大前提だ。

店長になっている人も多いし、バイヤーを任されているメキシコ人も全然いた。不正をする人がいるのかなと思ったが、どんなに見てくれが悪そうでも、そういうことをする人はいなかった。

やっぱり環境だと思う。環境が人を作るし、周りの人間が評価をすれば、本人は自分の価値が高まっていることを認識して自信をもて成長をするんだということを感じた。

インド人

インド人は、雇われているのをあまり見たことがない。どちらかというと小さなデリ(コンビニ)業態のお店やお土産屋さん、インド料理屋のオーナーをしていることが多い。雇われでのイメージは、カスタマーサポートやIT企業等。また英語がもともと話せるといういうところから、最初から何をやるにもアメリカ人と同等にアグレッシブに商売をしている。

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ITでも強いと言われているが、とにかく弁が立つ。特殊なアクセントのある英語を話す人も多いため、聞き取りずらい側面も多々ある。英語が第二言語の日本人からすると、聞き取りにくいことが多いため、その都度聞き直すのだが、分かりにくいアクセントにも関わらず『何度も言わせないで』と言わんばかりに不機嫌になることもよくあった。

例を言うと、「13と30」

  • 13 サーティーン(サは舌を軽くかむ感じのThのサ)
  • 30 サーティー(サは舌を軽くかむ感じのThのサ)

アクセントが強い人だと

  • 13 タ―ティーン(Thが完全にTのみ
  • 30 タ―ティー(Thが完全にTのみ

違いが分からなくなったときは、スリーゼロ?ワンスリー?というような言い方をして確認していたのを覚えている。

一方で企業でばりばり働いているインド人の英語はアメリカ人のネイティブイングリッシュの発音が多い。

強調したいことは、バイタリティがあるということ。自分の発音にアクセントがあり伝えにくいということなど、問題とも微塵も思わない強い心持が日本人にあれば、どれほど世界中で活躍していることだろう。

韓国人

韓国人は、中国人とならび、海外で働いているというよりかは、生き残るバイタリティーを非常に感じる。

  • レストランのオーナー
  • どこに行っても韓国人コミュニティーが出来上がる
  • 韓国人によるキリスト教の教会もあちらこちらにある
  • 移民が多い

日本には、在日の人が本当に多くいるし、芸能界でも活躍している。寧ろ、もう日本人と言っても過言ではないくらいに、日本人か在日かも分からない。

日本の寿司がアメリカで定着したのは、他でもない、韓国人と中国人のお陰である。

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日本の職人は否定するが、韓国人や中国人が見様見真似でカリフォルニア巻きを作りすし屋をオープンしたことが、流行のきっかけ。日本人は、技術が一流でありながら、普及させるのは上手ではない。

あれは日本の寿司ではない、と否定したところで、スーパーマーケットにある寿司は、必ずと言っていいほど、韓国人か中国人、またはメキシコ人が作っている。

食品営業をしていたため調べたが、アメリカのスーパーの中にある寿司を作っている場所は、そのスペースだけの家賃を払い、寿司を作って販売した売上がそのまま入ってくる。Wholefoodsという今ではアマゾンが買収したスーパーは、NYの一等地にあるものもある。そこでは、1日100万以上も売り上げる。1つ当たり日本円で600円程かと思うが、マンハッタンでは、健康食品の代名詞となっている寿司は、すごい人気がある。

マンハッタンの一風堂は最低1日1000食はでると言われているから、寿司が1日1500以上出ても不思議はない。

そういう寿司スタンドのようなものが、高級スーパーに限らず、Everyday Low Priceの店にまで入り込んでいる。今では、寿司がないスーパーはない。そういう流れに持っていけたのは、韓国人や中国人が見様見真似で開業した寿司レストランのお陰なのだ。

美味しい美味しくない、本物偽物は、食べた人が決めることであって、作り手が決めることではない。勝者が正で正が勝者ではないのである。このマインドが日本人には少ないと推察する。切磋琢磨が少ない。淘汰もない。これでは、新しいものが台頭しない。古きよきものは、本当に良きものであれば、絶対に未来の人にも支持され残るはず。もし支持されないのであれば、それまでの美なのである。

それが決して悪ではなく、伝説、栄華、栄光は塗り替えられていくことが必然なのである。塗り替えていくべきである。だから、生物が進化していくのだから。

中国人

中国人は、韓国人以上に勇敢でバイタリティーがある国民であるという印象。似ている部分は、チャイナタウンはどの国に行ってもある、韓国人が韓国コミュニティをどこにでも持っているのににている。しかし、韓国コミュニティも危険な地区にこぞって作ることはないだろう。

中国人の凄いところは、アフリカのような中国人が殆どいないと思われるようなところにも店を構えるところだ。アメリカでは、スラム街にも鉄格子又は強化ガラスをつけて通称『チャイデリ』中華料理の配達の店を構えている。どこでも食材を調達できるという商社の凄さもある。

韓国は、総人口の4%程、200万人強が海外在住である。日本人は因みに139万人と韓国人を下回る。人口の1.2%ほどだ。

中国人は、非常にプライドも高い。以前、日本企業のアメリカ法人で働いていた経験がある。そこでは食品の卸業をしていたが、倉庫を仕切っていたのは中国人。日本企業で海外で失敗する企業の特徴は、現地にいる外国人を下に見る行為だ。

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雇用者という観点を除けば、現地の人間の方が、現地の文化、人、嗜好、地理的環境等、に長けているのは言うまでもない。現地の人の勘の方が、外国人駐在員より長けている。また中国人従業員を束ねるのであれば、中国人が束ねた方がスムーズにいく。

これが日本であれば日本人が束ねた方が色々な面で優位性もあるだろうが、海外であれば、現地の言葉は英語、中国人従業員との会話も英語となるが、その英語も従業員からしたって第二外国語。双方がたどたどしいままだ。であれば、母国語で話せるほうが心地いいに決まっているし、伝えたいこともはっきり伝えられる。

その企業で働いていた時、営業をしていたが、倉庫の従業員には、いらなくなった食品のサンプルや、メーカーからもらったジャケットなど数に限りはあるが、自分自身では使いきれないものを全て提供してきた。いつでもメーカーよりサンプルを貰える営業からすれば、小さなことだが、倉庫で働く中国人や南米の人からすれば、自分達をケアしてくれたという大きな自信に繋がる。

大手のスーパーを担当していたが、イレギュラーな配達を度々頼まれるため、倉庫のアセンブルやトラックのディスパッチャーの融通が必要だった。普段より彼らを敬うことで、いざという時に優先的に動いてくれる。これも当時チームで最高成績を残せた要因の一つだと今でも思う。

日本に帰国後、中国人や韓国人は、日本人からよく叩かれる。ニュースの報道も、いいことは報道しない。日本にとって思わしくない動向ばかりが報道される。しかし、経緯の詳細は色々あるにせよ、日本の文化の成功の裏には、この2つの国が最終的には大きくかかわっていることは否定できない。

声を大にしては言えないが、以前にたばこ会社で働いていたことがある。日本ではほとんど需要がない高級たばこも取り扱っていた。日本の国民は、海外の人と違って、「自分もあのレベルまでのし上がりたい」という野心をもつ人は少ないため、高級のたばこは高いからという理由でなかなか普及しなかった。今でも普及していない。

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これが台湾では非常に普及したのだ。まるでマルボロのように。理由は、はっきりとは分かっていないが、説として当時行われていた密輸にあると言われている。当時、台湾のたばこには肺がんに罹患した肺の写真がパッケージに印刷されていた。今でもそうだが、当時、こと高級たばこの正規品にも同様な印刷がされていたが、どこから流れてきたのか、密輸されていたその商品には、もちろん肺がんの肺の写真は印刷されていない。綺麗な箱だ。そのパッケージのものを吸うことが、ある意味ステータスとなり知られたという経緯がある。

悪いことは、否定することはもちろんのことだが、いいことにも悪いことにも、いい面悪い面があることは、受け入れざるを得ないだろう。会社でパワハラ上司が家では最高の父親ということもあるだろう。密輸は犯罪だが、寿司を見よう見真似で普及させてくれた中国韓国のお陰で、寿司関連の食材の輸出が伸びた分けだし、一緒に提供される日本酒の輸入が増え、それが普及定着までの成長を遂げた背景に、中国韓国の存在を忘れてはいけない。

 まとめ

国策として市民の雇用を守るのは最優先である。しかし、そこに目が行き過ぎて、本当に雇用側にとって助かる人材(技術的、財政的、様々な条件的)が誰になるかという点に絞って優先順位を決められるのが理想だと考える。

日本は人件費が高い国でもある。そういう国にとって、技術的に学びにも来ている海外の労働者は助けになる。もちろん、賃金は、最低限支払わなければならない金額は絶対的に払い、優秀であれば、さらに色を付けるのも当然だろう。日本人というだけで、雇用されて、指示を出しても横柄な態度でアクションをしない従業員も沢山いる。そういう市民と比較すれば、海外の人の労働力を借りた方が、何歩でも先に進めると言える。

従業員が労働法で強く守られているのはいいことだ。しかし、弱者を守るための法律がいつの頃からか、何もしない人に利用される武器となり始めている。こうなると、本当に困っている人までが疑われ助けにならなくなってくる。

どこの国でも人や法律を利用とする人は出てくるが、本当の正義までをつぶす武器に成り代わらないよう、定期的な法律の更新が必要だと考える。


 

他責おじさん

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他責が上手な人ほど出世できると研究結果の末、証明できてしまうことが何ともお恥ずかしい。他の国にもそういう傾向があるかもしれないが、少なくとも日本は「非効率国家」だ。特に人に対しては・・・

 

「今回のミスの責任を取れ!」と周囲から詰めよられても、「いやいや、悪いのは私じゃなくて、私の命令にちゃんと従わなかった部下ですよ」なんて感じで、罪悪感なく責任逃れができる「他責おじさん」ほど、サラリーマンピラミッドを駆け上がっていけるということでもあるのだ。

記事では『他責おじさん』が非難されている感じに見えるが、そういう方々昇進させてしまう諸悪の根源は、『昇進させた上司』又は『人事的判断を下した人』であることは、冷静な判断が出来る人なら一目瞭然。

どの時代にも、どの国にも『他責おじさん』は多くいると思うが、海外で12年働いた筆者が、そういう上司に又は先方の責任者に殆どと言っていいほど会っていないのは、人事判断をする側が、しっかりと資質を見ているということだ。

そもそも、『他責』する人ほど、実際に作業や仕事をしていない。だから、責任の所在も分からないし、何が起きたかも分からないし、起きたことに対して、どう対処したらいいかも分からない。

そういう気質は、上司になったから急に身につくわけではなく、もともと部下であったときにもそうだったはず。優秀な人材がいれば、彼が上司に昇進することはなかった可能性は高いだろう。人材がいないから、消去法で昇進する最たる例の一部だと推察する。

問題解決法より誰の責任で起きたかを強く追及する日本

帰国していくつかの企業で働いて率直に思ったことは、何か問題が起きた時、すぐに対処しなければならない切羽詰まった状況にあるとしよう。そんな時、緊急でミーティングが開かれて、どう対応するかを話し合った際、協議の優先順位が『どう対応するかの話し合い』ではなく、『そもそも何でこんなことになったの?』から始まり、そっちの話が長い。

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緊急を要するのだから、対応してから再発防止を協議すればいいと思う。米国では、発生を防止する策よりも、発生した後どうするかの行動が早い。寧ろ、前例のないことに問題が発生しないわけがないという前提に基づいてはいて、問題が起きた個所を都度修正していくというやり方が一般的だ。

日本は、どんな間違いも起こらないように、気が付かないレベルまで検証を続けて発売やサービスに踏み切る。悪いことではないが、そこに開発コストがかかっている。早く世に出して、修正に必要な原資を少しでも回収してから修正すればダメージも少ない。

製品にほぼ不備がないという状態で市場に投下されることが常であるがゆえに、不良品が出ようものなら、消費者も容赦なくクレームを言う。クレーム大国でもある日本は、クレームを言う人が正になっている節がある。クレームされた人が普通の考えレベルの人だったとしても、クレームの人を鎮めることが優先となるのが驚く。

逆の驚きも米国であった。とあるスーパーでレジに並んでいたが、レジの人が遅く長い列になってしまっていた。ある白人男性が割り込みをしてきた際、その後ろにいた白人女性が、割り込んだことに関してクレームを普通レベルのトーンで注意した。何度言っても男性は、聞かないので、レジの人にクレームを伝えた。すると、レジの女性は私には関係ないとばかりに、マネージャーへ電話。程なくしてマネージャーがレジ前まで来て、当の本人を強引に追い出した。驚いたのは、追い出されたのが、注意をした女性だったからだ。

悪質な言いがかりであれば、この対応は正だと思う。しかし、明らかに割り込みをした人が悪く、一部始終を周りも見ていたはずである。しかし、女性が半ば強引に店を追い出されると、周りで並んでいた人も、なぜか男性を擁護しだしたのである。不思議な光景だった。追い出された女性は、「私は注意をしただけなのに、なぜ追い出される側なの?」と自分の正義を訴えてしぶしぶ店を出ていった。何も出来ない自分に無力感を感じたのを昨日のように覚えている。

もう一つ、ショッキングだったクレーム関係を紹介しよう。マクドナルドで並んでいた時、お客の黒人の若い女の子が、購入したものかする前か忘れたが、店長に対してクレームを言い始めた。最初は、紳士的に言葉で切替していた黒人店長だったが、女性客のあまりの罵声に、レジカウンターを飛び越え、女性を掴み、ぼこぼこに殴り始めたのだ。

傍から見て、明らかに女性客が悪いので、心の中では『店長、よくやった』と思っていたが、暴力にはうるさい米国で堂々と行われた制裁劇は、映画さながら。映画は大げさに表現しているわけではなく、リアルなんだ、と改めて思った。

海外だと困惑する程、クレーム時の対応がまちまちだが、日本は8割がた『いったもの勝ち』が成立する。

人材不足が普通

世の中に存在する会社の多くが人材不足。それは、高度経済成長の時も同じだと思う。人は過剰でも、できる人材は常に不足しているはずだ。特にグループ会社でグループ内に何十と社長を抱えることになるホールディング会社であれば、それだけの社長ポストに据える優秀な人材はまずいないはず。会社の数が多ければ多いほど、優劣が付けられいい人材と、そうでもない人材の仕分け場になっているはずだ。

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そもそも、評価が低いグループ会社を抱え続ける理由はいったい何なのか?冷静に判断しても評価が低い会社であれば、多少の損が出ても手放せばいい。そういう判断に問題があるのだ。

人財が不足するのは、ポストに対して優秀な人材の数が追い付かないから。追いつかないのは、育成してこなかったからに他ならない。育成できなければ、外部から雇用すればいいが、昔からいる人材を簡単に切ることが出来ない。労働法で従業員は守られている。

キャラ付け文化

従業員の評価は360度の側面からするべきだと常々思っている。評価に対して真摯にとらえていない企業の多くは、上司から部下への評価一方通行が多いだろう。この方法だと、上司から感情的な非難を持たれたら最後、いい仕事をすれば評価の項目から外され、失敗をすれば評価原点マイナスの項目として焦点を当てられる。

海外でも学生のうちはあるかもしれないが、日本には大人の世界でもキャラ付けする人は多くいる。一旦、そういうキャラと周知されれば、そういう見方をしている人がいなくならない限り、レッテルを張られ続ける、非常に陰険な環境が大人の世界にも多く存在している。

前職にもいたが、過去に営業で何らかの失敗があり、取引先から営業マンを変えて欲しいという要望があった。その方は、それ以来、営業から外され内勤でレポート作成が主な仕事となっていた。

彼は、顧客、市場、在庫の動き、内部のレギュレーションなども熟知しているため、新入社員にも十分に教えることができるが、過去の1件の失敗で全ての未来が決まるのはいかがなものかと考える。

犯罪者でさへ、再起のチャンスを与えられるのに、犯罪を犯したわけでもない失敗で再起のチャンスすら取り上げられる。しかも、銀行のような大きな組織ではなく50人強の会社でだ。

営業をしたことがある人なら分かると思うが、個人により得意とするお客さんと苦手とするお客さんがいる。上司は、等しく上手くやって欲しいと思う人が多いと思う反面、苦手を克服するには相当な時間と精神的忍耐力を要する。克服するまでには、何期も終わってしまう。言い換えると、上司の思いは長期にわたりに達成されることは難しくなる。

Aさんにとって苦手な顧客はBさんは得意だったりするケースもある。得意でないまでもそつなくこなせるレベルというのは往々にしてある。苦手を克服させて一カ所で停滞させるより、得意だけなものだけでもどんどん先に進んでもらう方が、期内に目標を達成しやすいだろう。

上司の采配ミスは部下を退職に追い込んでも克服できない

担当を割り振るのは上司の仕事であることが多い。部下の成績が振るわないのは、上司の采配ミスであることは間違いない。スポーツの世界だって、チームが勝てない時、選手選びの采配ミスと非難されることは常だ。高い金を払ってエース級を投入しても、システムにあっていない組み合わせで負け続きでコスト効率が悪いとGMから非難されるだろう。逆にエースがいないが、自前の若いプレイヤーだけで、売れるシステムに乗せていたら、一人一人の力が弱くてもゲームには勝てる。コスト効率がいいとGMに褒められるだろう。

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下手を打つ部下をもって、その部下の本質を否定してしまう、いわゆる普通の上司が多くいる。有能な上司は、その短所が数字に影響しないような配置や業務内容を割り振るだろう。または、できていない部分が他が持ち合わせていない長所と違う見方を教えるかもしれない。

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言えることは、否定をしていらないからと他の部署へ回されても、たらいまわしの結果の異動の場合は、異動後も本領を発揮できないことも多い。

有能な社長であれば、部下の出来なさを毎回のように愚痴る上司は、上司の能力のなさを証明していると取る。この愚痴が長期的になくならない限り、次に昇進させることもないばかりか、ひょっとしたら管理職から降ろされることもあるかもしれない。しかし、幸か不幸かそんな有能な社長は人口の1%もいないだろう。

ポリシーに反することは、自分の代で止める

他責おじさんが作り上げられた背景には、企業文化が大きく影響していると感じる。根深く残る文化を改善するのは至難の業で、改善には時間がかかる。しかし、今、部下という立場にいる方も、いずれは世代交代の時に上司となるだろう。その時に、自分が受けて嫌だった行為を継承せず、あなたの代で終わらせて欲しいと切に願っている。

悲しいかな、自分がひどく昔の上司にひどい扱いをされた人ほど、上司になってから部下に自分が嫌だったはずのことをしている光景をよく目にする。

これは、幼児虐待を受けた人が、自分が親になって自分の子供を虐待するのと同じ理論だろう。職場の振る舞いと家庭の振る舞いは似ているところがある。

会社で部下の面倒見や理解力がある人は、家庭で子供の面倒をよく見たり、奥さんのストレスが増えないよう、手伝いをしていたりするだろう。これは、営業成績がいいという成績とは関係ない。人に対しての考え方だ。

営業成績でいつもトップでも家庭では何もしないという人は多くいる。営業成績がトップなのは、自分の成績だけに集中をしているからであって、決してイコール有能というわけではない。数字だけが確実に取れるという人材は、営業代行の会社を企業するのがいいだろう。企業は、確実に目標を達成してくれる人材を探している。

フリーランスにはなくて組織にあるのは、人材の育成部分だ。営業成績とは関係なく、以下に周囲に気が付くか、その気づき一つで何人もの人材を救うことができる。この行動は、ひとえに企業文化が強く影響すると思う。もちろん、もともと面倒見がいいという性格はさらにプラスだと思うが、そんな人でも、他人は知らんぷりの企業に入れば、面倒を見ることで評価を下げられる可能性もある。結局は、自分が今いる環境へと近づいていく。

文化をテコ入れするには、上の人間が率先していい姿を見せることにある。いやいややれば気づかれる。本気でいい行いをしなければ、人を動かすことはできない。

他責おじさんの根絶は簡単ではない。しかし、不可能ではない。経営者の方には気が付いて欲しい。

 

なぜから始める

非常にインスパイアされたアメリカ人作家の一人にサイモン・シネックという方がいる。初めて聞いたスピーチが、以下にリンクを貼りつけた「なぜから始める」というスピーチだ。非常に説得力があり、当時コンサルティング営業をしていた自分には非常に勉強になった。

ものは、売ろうとすると売れない。売るから売れないわけだ。モノ売りは、買う側が買いたいという気持ちになって初めて売買契約が成立する。営業の仕事は、売ることが仕事なのではなく、買う気持ちにさせることが仕事。

これは、現場での話だが、社内でも同じ。「なぜ、売れないんだ!」と言っている上司の部下は、売れない、売らないわけではなく、売る気持ちにならない、だけだ。それは、上司の頭ごなしの「売れ売れ詐欺」にあっているからだ。

売れない部下を持った上司は、まず、「なぜ」売る気持ちになれないのか、を知った方がいいだろう。もし部下がその商品を、消費者として好きな場合、実際に使うだろう、使うからこそ消費者の気持ちが分かる。

一般の方は不思議に思うかもしれないが、営業マンが商品知識がそれほどないなんてことは決して珍しいことではない。多くの中小企業は、新商品の写真を見せられ、サンプルが前にあり、じっくりと使い込んで商品を知る間もなく、「売れ~~~!」と言われて売っているのだ。

オーソドックスな物売りは、商品が先に来る。購入させられる人は、商品が一番最後に登場する。それだけの違い。

消費者は、驚きや感動の向こう側にきて初めて購入する。話の過程で、消費者に、「今までそんな商品見たことないし」のところまで持ってこれれば十分。

「ここにあるんです」

「え!あるの?」

の流れに乗ったら後は買うまでは、そんなに遠くない。気持ちだけでは、もう買ったも同然。あとは、お財布や家計との瞬間的なご相談で、買う、という行動が発動する。

感動や、今すぐ使ってみたい、まで持ってこれたら、仕事を終えたと思っていい。遅かれ早かれ、どこかで購入する。この感動まで持ってくると、記憶に残るから、そこで購入するか、忘れたころにECで購入するか、その人の環境により様々だ。

筆者は、ここで深追いをしない営業をしていた。だから、上司には疎まれていた。数字に乗ってこないからだ。しかし、ここで深追いをする営業マンが、深手を負うことは往々にしてある。売ろうと必死で最後のラストスパートで、ギラギラモードになるからだ。

あくまでも、購入する側が自分から購入するということが勝利なのだ。

強引に買わせる営業は海外ではよくある。海外にいた際、断ると、「あなたは本当にいいチャンスを逃したよ。後悔しても知らないよ」くらいの捨て台詞まで吐き、こちらが悪者であるかのような悪態をついてくるくらい、ギラギラして売ろうとしてくる。

スピーカーは、そういう営業マンが多くいるアメリカ出身だからこそ、皆の売込が間違っていることをここまで鋭くついているのだと思う。

日本に合うか合わないかはあるとしても、人の心を動かすには役に立つと思うのでぜひ見てみてください。

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以下、動画を文章で残しておきます。

「私たちは、自分の行為の理由を当然だと思っています」

「でも物事がうまくいかなかったときに、それをどう説明していますか?」

「あるいは、誰かが常識を覆すようなことを成し遂げた時に、それをどう説明しますか?」

「例えば、アップルは何故あれほど革新的なのか?」

「毎年、他のどんな競合相手より革新的です。」

「でも、ただのコンピュータ会社に過ぎません。」

「他の会社と似たようなものです。」

「同じような人材を同様に集め、同じような代理店やコンサルタントやメディアを使っています。」

「では、なぜアップルには他と違う何かがあるように見えるのか?」

「なぜマーチン・ルーサー・キングが市民権運動を指導できたのか」

「市民権運動以前のアメリカで苦しんでいたのは、彼だけではありません。」

「彼だけが優れた演説家だったわけでもありません。」

「なぜ、キング師だったのでしょう」

ライト兄弟が友人動力飛行を実現できたのはなぜでしょう」

「人材を揃えて資金も潤沢な他のグループでも、有人動力飛行を実現することはできずライト兄弟に負けてしまいました。」

「何か別の要因が働いています」

「三年前のことです。私は発見しました。」

「この発見によって世界がどう動いているのか、見方がすっかり変わりました」

「しかも世界への接し方もすっかり変わりました。」

「明らかになったことは、あるパターンです」

「分かったのは偉大で人を動かす指導者や組織は全て、アップルでもルーサー・キングでもライト兄弟でも、考え行動し伝える仕方が全く同じなのです」

「そしてそのやり方は、他人と正反対なのです」

「私はそれを定式化しました。きっと世界一シンプルなアイデアです」

「これをゴールデンサークルと呼んでいます」

「なぜ?どうやって?何を?」

「この小さなアイデアで、なぜある組織やリーダーが、他にはない力を得るのか説明ができます」

「用語を簡単に定義しておきます」

「世界の誰でもどの組織でも、自分達が何をしているのか100%分かっています」

「どうやるかを分かっている人もいます」

「これは差別化する価値提案とか固有のプロセスとか、独自のセールスポイントと呼ばれるかもしれません」

「でも『なぜやっているのか』を理解している人や組織は非常に少ないのです」

「『利益』は『なぜ』の答えではありません」

「利益は結果です。いつでも結果なのです」

「『なぜ』という時には目的が問われています」

「何のために?何を信じているのか?」

「その組織の存在している理由は何か?」

「実際のところ私たちが考え行動し伝えるやり方は、外から中へです」

「それはそうでしょう。明確なものから曖昧なものへ向かうのです」

「でも飛びぬけたリーダーや飛び抜けた組織は、その大きさや業界にかかわらず、考え行動し伝える時に、中から外へと向かいます」

「例を示しましょう」

「私がアップル製品を使う理由は、分かりやすく誰でも理解できるから」

「アップルが他の会社と同じだったら、こんなCMを作るでしょう」

「我々のコンピュータは素晴らしく、美しいデザインで簡単に使えユーザーフレンドリー。ひとついかがですか?」

「いりません」

「我々の殆どは、こんなふうに伝えます」

マーケティングや売込もそう」

「我々の対話の殆どが、そんな風に行われます」

「何をして、どう使い、どう優れているかを述べ、相手に何か行動を期待します」

「購入や投票の類です」

「私たちは新しい法律事務所を開所致しました」

「最高の弁護士と大手のクライアントを抱えています」

「私たちは常にクライアント第一で行動します」

「これが私たちの車のニューモデルです」

「低燃費で総革張りシートいかがですか?」

「これでは心は動かされません」

「アップルならこんな風に伝えます」

「我々のすることは全て、世界を変えるという信念で行っています」

「違う考え方に価値があると信じています」

「私たちが世界を変える手段は、美しくデザインされ、簡単に使えて親しみやすい製品です。」

「そんな素晴らしいコンピュータができあがりました」

「一つ欲しくなりませんか」

「全然違うでしょう?買いたくなりますよね?」

「今のは、ただ情報の順番を逆にしただけなのです」

「これが示すのは、人は『何を』ではなく『なぜ』に動かされるということです」

「人は『何を』ではなく、『なぜ』に動かされるのです」

「だからこの場にいる人は誰もが、安心してアップルからコンピュータを買っているのです」

「そしてまた誰もが安心してMP3プレイヤーやスマートフォンやビデオレコーダーをアップルから買えるのです。」

「でもアップルは単なるコンピュータ会社です」

「アップルと他社とで何か仕組みが違うわけではありません」

「競合会社にだって同様の性能の製品を作る技術があります」

「実際に挑んだこともあります」

「半年前にはゲートウェイが平面テレビを出しました」

ゲートウェイには、そのための卓越した技術があります」

「PC用の平面モニターを何年も作ってきたのです」

「しかし誰も買いませんでした」

「デルはMP3プレイヤーとPDAを発売しました」

「非常に高品質な製品です」

「でも全然売れませんでした」

「実際、今となっては、デルのMP3プレイヤーを買うなんて、想像すらできませんよね」

「コンピュータ会社のMP3プレイヤーなんて誰が?」

「でも皆アップルからは買うのです」

「人は『何を』ではなく、『なぜ』に動かされるのです」

「自分が提供するものを必要とする人とビジネスをするのではなく、自分の信念を信じる人とビジネスをするよう目指すべきです」

「一番肝心なのは、私がお話ししていることは私の意見ではなく、全ては生物学の原理に基づいています」

「心理学ではなく生物学です」

「ヒトの脳の断面を上から見下ろすと、脳は3つの主要な部位に分かれていることが分かります」

「それはゴールデンサークルと対応しています」

「一番新しいホモサピエンスの脳は大脳新皮質であり、『何を』のレベルに対応します」

「新皮質は合理的で、分析的な思考と言語を司ります」

「内側の二つは大脳辺縁系に対応し、これは感情や信頼、忠誠心を司ります」

「またヒトの行動を司り、全ての意思決定を行いますが、言語能力はありません」

「言い換えれば、外から中へのコミュニケーションをしている時、確かに大量の複雑な情報を理解できます」

「機能やメリットや事実や数値などです」

「しかし行動に繋がりません」

「中から外へのコミュニケーションを行っている時には行動を制御する脳の部分と直接コミュニケーションができます」

「言葉や行為によって理由は後付けすることができます」

「直観的な決定はここから生まれます」

「時には誰かに、あらゆる事実やデータを伝えても、事柄は皆分かったけど、どうも違和感を感じる、と言われます」

「どうして、ここで違和感を感じるのでしょうか」

「その理由は、脳の意思決定をする部位が言葉を扱えないからです」

「せいぜいこんな感じです。『よくわからないけど、違和感がある』」

「時には、心の向くままにとか、魂の導きに従ってとも言いますが、でも実際に行動を制御できるのは、脳以外にありません」

「すべては大脳辺縁系で起きています」

辺縁系は意思決定を司り言語には関与しません」

「人々は『なぜやるのか』に反応するのに、なぜやるのか自分で分かっていなければ、投票してもらうにせよ、何か買ってもらうにせよ、人々を惹きつけられるわけがない」

「さらにあなたに忠誠心を持って加わりたいと思われることはない」

「自分の商品をそれが必要な人に売るのではなく、自分が信じるものを信じる人に売ることを目指すべきです」

「単に仕事を求めている人を雇うのではなく、自分の信念を信じてくれる人を雇うことを目指すべきです」

「私がいつも言っていることですが『仕事ができる』だけの理由で採用した人はお金のために働くのです」

「しかしあなたの信念を信じてくれる人を雇えば、その人は血と汗と涙を流して働くのです」

「このことを示す例として最もふさわしいのは、ライト兄弟の偉業でしょう」

「多くの人がサミュエル・ピエールポント・ラングレーを知らないでしょう」

「20世紀の初頭には、友人動力飛行の追及は、今日のドットコムのようなものです。誰もが試みていました」

「そしてサミュエルは成功のレシピと言えるものを備えていたのです」

「誰かに聞いたとしましょう。『製品や会社が失敗した理由は何ですか』」

「返ってくる答えはいつも同じ3つの項目です」

「資金不足、人生不足、市場環境の悪化」

「いつもこの3点です。詳しく見てみましょう」

「サミュエル・ピエールポント・ラングレーは、5万ドルの資金を陸運省から与えられ飛行機を開発していました。」

「資金は問題なし」

「彼はハーバード大に在籍しながら、スミソニアン博物館で働き人脈も豊富です」

「当時の頭脳たちと通じていました」

「金にものを言わせて最高の人材を集めました」

「市場の環境は絶好調、ニューヨークタイムズは彼を追いかけまわし、皆ラングレーを応援していました」

「では、なぜ彼の名前は聞いたことがないのでしょうか」

「そこから数百マイル離れたオハイオ州デイトンにいた」

ライト兄弟のオーヴィルとウィルバーは、成功のレシピとはまるで無縁でした」

「お金がなく、夢への挑戦資金は自分の自転車店の持ち出しで、ライト兄弟のチームは誰も大学を出ていませんでした。オーヴィルとウィルバーさえもです」

「そしてニューヨークタイムズに追い掛け回されもしていません」

「違っていたことは、オーヴィルとウィルバーの大義と理想と信念に動かされていたことです」

「彼らは、もしこの飛行機を完成することができたら、それは世界を変えると信じていました」

「サミュエル・ラングレーは違っていました」

「彼は、富と名声が欲しかったのです。ただ結果を追求し富を追求したのです」

「そして、どうなったでしょうか」

ライト兄弟の夢を信じた人々は、血と汗と涙を流してともに共に働きました」

「もう一方のチームは、ただ給与のために働きます」

ライト兄弟は野外テストに出かけるたびに、部品は5セットずつ持参していたと言います」

「夕食に帰るまでに5回くらい壊れるつもりだったからです」

「そして遂に1903年の12月17日のこと、ライト兄弟は初飛行に成功しました」

「それをその場で目撃したものはいません」

「そのことが広く伝えられたのは、数日後です」

「そしてラングレーの動機が不適切だった更なる証拠があります」

ライト兄弟が飛行した日に、彼は諦めたのです」

「彼は、こうも言えたはずでした。『連中はよくやった。我々の手でもっと改良してやろうじゃないか』」

「でも、そうはせず、一番になれず、金持ちになれず、有名にもなれなかったので、彼は諦めました」

「人は『なにを』ではなく、『なぜ』に動かされるのです」

「そして自分が信じていることについて語れば、それを信じてくれる人たちを惹きつけるでしょう」

「では、なぜ自分の信念を信じてくれる人を惹きつけることが重要なのでしょう」

「『イノベーションの普及の法則』と呼ばれるものがあります」

「もし、ご存じないなら、この用語を覚えて下さい」

「人口の2.5%はイノベーターです。13.5%はアーリーアダプターと呼ばれる人達です。34%は、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティにラガートと続きます」

「ラガードに属する人たちが、プッシュホンを買う理由は、ダイヤル式が最早販売されていないからです」

「人は皆この軸上の色々な時点に位置付けられます」

イノベーションの普及の法則が教えるところは、マスマーケットで成功したいなら、あるいはアイデアを幅広く受け入れてもらいたいなら、そのためには臨界点である15%から18%の市場浸透率が必要です。そこまで行くと状況が一変します」

「『新しいビジネスの移行はどれくらい?』と私はよく聞きます。

「相手は『10%です』と自慢げに教えてくれます」

「ええ、10%の顧客を得るところまではいけます」

「自分から飛びついてくれる人が10%程いるのです」

「そうとしか言えないのですが、彼らはただ直観で飛びついています」

「問題は、売り込まなくとも飛びつく人と、飛びついてこない人の違いです」

「ここにある小さなギャップを、どう埋めるかが問題なのです」

「ジェフリー・ムーアのいわゆる『キャズムを超える』ということです」

「なぜなら、アーリーマジョリティが試そうという気になるのは、誰か他の人が先に渡来した後だからです」

「イノベーターとアーリーアダプターは、自分の直観に従って決める人達です」

「彼らは世界に対して、信じることに基づいて直観的に判断することを好みます」

「入手が難しくとも問題にしません」

「彼らは6時間並んでiPhoneを発売日に買う人です」

「次の週になれば、並ばずに店に入り、すぐにその場で帰るというのに」

「この人達が4万ドルも、最初の薄型テレビに払うのです」

「その技術がまだ標準的でなくとも構わないのです」

「ちなみに彼らがそうするのは、技術がすごいからではなく、自分達のためなのです」

「一番乗りをしたいのです」

「人は『何を』ではなく『なぜ』に動かされるのです」

「そして信じることをただ行動で示すのです」

「実際、人は自らの信じることを示すために行動します」

iPhoneを買うために6時間も列に並んで、立ちっぱなしで過ごす理由は、彼らが世界について信じているからです」

「他の人にもその思いを見せたいのです。自分が一番だったと」

「人は『何を』ではなく『なぜ』に動かされるのです」

「ここで有名な例を紹介します」

イノベーションの普及の法則に関する有名な失敗例と有名な成功例です」

「まずは、有名な失敗例ですが、これは商品の例です」

「ほんの少し前にも言いましたが、成功のレシピは金と人材と市場環境です」

「これが揃えば成功します」

「TiVoをみて下さい」

「TiVoが登場したのは、今から8-9年前で、市場に投入されている唯一の高品質商品でした」

「断然間違いなし、資金調達も極めて順調でした。市場の状況も素晴らしかった」

「TiVoは動詞として使われています。私はいつも「スゴ録」でTiVoってるよ」

「でも、商業的には失敗でした」

「お金を生み出せなかったのです」

「株式公開をした時の株価は30-40ドルでしたが、それから急落して10ドル以上で取引されることはありませんでした」

「実際は数回の単発的な上昇以外は6ドル以上での取引はなかったと思います」

「お分かりのようにTiVoが製品を投入した時、彼らはそれが何かを説明しました。生放送を一時停止したり、CMをスキップしたり巻き戻したりできるテレビです」

「どんな番組が好きかを、頼まれなくとも記録してくれます」

「疑い深い大衆は思います。『信じられないね。信じられない。気に入らない。ぞっとさせる製品だ』」

「もしTiVoがこんな風に言っていたら?」

「自分の生活のあらゆる側面を自分でコントロールしたい。そんな方にぴったりな製品がここにあります。」

「生放送の一時停止やCMのスキップ、お好みの番組の録画など」

「人は『なにを』ではなく、『なぜ』に動かされるのです」

「何をするかは、信じることを示す限り意味を持つのです」

「今度は、イノベーションの普及の法則がうまくいった例を見てみましょう」

「1963年の夏のこと、25万人もの人が集まって、ワシントンの通りを埋め尽くし、キング師の演説に耳を傾けました」

「招待状が送られてきたわけでもなく、日程を告知するウェブサイトもなく、どうやったのでしょう」

「キング師だけが偉大な演説家というわけではありませんでした」

「市民権運動以前のアメリカで彼だけが苦しんでいたわけではありませんでした」

「実際彼のアイデアの中には、ひどいものもありました」

「でも彼には才能がありました。彼はアメリカを変えるために何が必要かなどを説かず、彼は自分が信じることを語ったのです」

「『私は信じている、信じている、信じている』と語りました」

「彼が信じることを信じた人々が、彼の動機を自らの動機とし、他の人にも伝えたのです」

「さらに多くの人に伝えるため、組織を作った人もいました」

「そしてなんと25万人もの人が集まったのです」

「その日、その時に彼の話を聞くために、その中でキング師のために集まった人は何人いたでしょう?ゼロです」

「皆、自分自身のために集まったのです」

「彼ら自身がアメリカに対して信じるために、8時間バスに揺られてやってきて、8月のワシントンの炎天下に集まったのです」

「自分が信じることのためです。白人と黒人の対立ではありません」

「聴衆の25%は、白人だったのです」

「キング師は、この世界には2種類の法があると信じていました」

「神によって作られた法と人によって作られた法です」

「そして人が作った法が全て神の法と整合するまでは、世が公正になることはないと信じていました」

「市民権運動はたまたま、彼の人生の目的を果たす上で完璧な追い風でした」

「人々がついていったのは彼のためではなく自分自身のためでした」

「その中で『私には夢がある』という演説をしたのです。『私にはプランがある』という演説ではありません」

「現代の政治家の12項目目の総合計画と比べてみてください。誰かを動かすものではありません」

「いわゆるリーダーと人を動かす真のリーダーは違います」

「いわゆるリーダーは、権威や権力の座にあるだけの人です。でも真のリーダーは、私たちを奮い立たせます」

「個人であれ、組織であれ、我々が真のリーダーに従うのは、しなければならないからではなく、したいからなのです」

「真のリーダーに従うのは、彼らのためではなく、自分自身のためです」

「そして『なぜ』から始める人が周りの人を動かし、さらに周りを動かす人を見出せる力を持つのです」

 

働き方改革ーがんばらない働き方

やりたいことだけをやる

 今までやらなければいけないことに優先順位をつける、ということばかりを言われてきたが、やらないことを見つける努力というところには、目がいかなかった。やらないことを決めるというアイデアは、スティージョブズのエピソードで知っていたが、ここまで徹底すれば、確かに生産性は上がると思ったので、書き記しておく

 

To Do Listを捨てる、Not To Do Listを作る

 今まではToDoリストを作って、何をやったかを確認しながら日々の業務を続けてきた。ここで大事なのは、やること出来るだけ減らすことが何よりも重要。

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別の言い方をすると、普段の業務の中で、自分でなければできなかったことは何かを10個挙げられたなら、あなたの生産性は、テコ入れする必要もないくらい高いことを意味している。

がんばったと思っていても、頭を使わずに終業時間になるのを待っていることは、今のオフィス勤めの従業員には往々にして起きていること。自分の業務の中で、以下の要素があるものは、どれくらいあるかを整理してみて欲しい。

  1. 同僚に依頼できる。
  2. 部下に依頼できる。
  3. プロに依頼できる(外注)

上記3つに当てはまることがあるかどうかを整理してみて欲しい。そこにかかる経費が払えないから自分でやる、という選択をした場合は、組織自体に大きな無駄があるはずだ。

がんばるって営業成績を伸ばした人が、管理職になって業績を伸ばせずに苦労することはよく聞く話。それは、自分でやってしまうから、下も仲間も育たないためだ。部下に依頼するより、自分で解決してしまう。

しかし、そのやり方で出来るのは、小さい規模の会社だけだ。億を超えるビジネスでは、自分一人が動いたところで何も成し遂げられはしない。できる人は、ある意味、何も出来ない人でもある。

逆に今は小規模だけれども、なかなか桁を増やせない。筆者の働く会社も、歴史は長いものの、なかなか売上の桁を増やせないで長く続いている。働き始めて分かったのは、捨てるべき慣習が多くあったということ。

外に振るためには原資が必要。しかし、その原資を昔からの慣習に支払っている会社は多いのではないか。自分達のビジネスが傾きかけても、今原資を払っている先は救ってはくれない。リベートや補填を払えば、多くを買ってくれるかもしれないが、利益が残らないなら売っていないのと同じだ。

無駄を出来るだけそぎ落とし、他人に任せられる原資を捻出し、時間が空いたスペースで、次の策を練る、またはリラックスの時間に使ってもいい。いずれにしても、自分自身は、いつでも自由に考えられる余裕の環境に置くべきだ。

ヴァージングループの創始者、リチャード・ブランソンは、自分は何も出来ないと公表している。「出来ないから、できる人にやってもらっている」。もちろんお金があってできることなのも分かっている。ただ、人にやってもらって大きくなれるのなら、そこに払っているお金は有意義と言えるものではないだろうか?逆に自分自身で何でもやって、そこにも経費が掛かったが、大きくもならない、利益にもならないなら、頑張っているように見えても、外から見れば、頑張っていないことと変わりない。

がんばらないことは悪じゃない

頑張る⇔頭を整理する、という逆説関係にあるのは気が付いていただろうか?

頭を整理すれば、冷静になれば、自分がなぜしなければいけないのか、する必要がないかが分かってくる。オフィスで8時間仕事をした人の業務を、整理すると大抵、実働は3時間くらいになると思う。

多くが移動、アポの待ち時間、たばこ休憩、会議ではないだろうか?筆者も昔はたばこを吸っていた。1回に10分と考えると6回喫煙に行けば1時間喫煙していたことになる。もちろん、そこから生まれるアイデアもあるため、完全に無駄とは言えないが、ここでは、頭を使っていないという位置づけで考えてみよう。

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会議は、頭を使っているわけでもなく生産もしていない。本来は、何かを直ぐに決めたくて、主要メンバーに集まっていただき、会議の終わりに、アジェンダで決めたかった内容が決定する、のが会議だ。

しかし、参加メンバーの発表を聞く場であることも多く、最初から最後まで一言も発言することもなく終わることもしばしば。その時間があれば、どれだけのアイデアをブレストできるだろうか、と考えると非常にもったいない。

会社のパフォーマンスを周知させるだけなら、CEOなり本部長が、全員に対して情報を発信すればいいと思う。それで十分に知って欲しいことを共有できる。

 ずっとやらない

同じことはずっとやらない。あるいは、関わらないという言い方もいいかもしれない。

事業計画で新しいことを始めるのに、あなたの力が必要だろう。実行は、一人ではできないから、部下や同僚の力を借りて、上手く利益を出せた、という流れができたとしよう。何名かの力を借りて上手くいったのであれば、あとはプロに任せてやってもらい、関わることをやめ、新たなことを考えることに全精神力を注ぐべきだ。

又は、ずっとかかわる場合、決して同じ方法で毎年惰性に行わないこと。何かしら、やり方を変えていくことで、誰にも飽きが来ない。

往々にしてある企業の問題点は、ヒット商品に依存し続けること。

一度ヒット商品を出すと、過去の栄光から抜け出せなくなる。過去にヒットした商品であれば、栄光が去ってもそこそこの従業員を食わせていくだけの利益はまだ出せる。既にトレンドが去ってしまっても、まだやっていないことがあるはずだと、過去の商品に拘り続け、新たな道を模索することを諦めている。

仮に食品で始まった企業が、その後ITで華々しい業績を出したっていい。創業時との親和性がなければならないというルールはない。

先に挙げたヴァージングループは、親和性なんて何もない。業種は多岐に亘っている。もともとは、雑誌を発刊したことから始まる。しかも、学生時代に発刊をして、それが成功したことをきっかけに高校を辞めている。つまり中卒なわけだから、成功に学歴を関係ないことも証明している。

編集業から、次に始めたのが、バージンメガストアという中古CD屋だ。それ以降、旅行、エンタメ、健康出版、メディア、エネルギー、鉄道、リテール、通信、ホスピタリティ、ビジネスサービスと多岐に及ぶ。旅行カテゴリーでは、宇宙旅行ビジネスを行う会社まである。時代に合わせて、役に立つ方法を変えては実現している。

失敗もあるが、一歩踏み出すことは学ぶにおいては重要。「見切り発車」という言葉をネガティブな意味で使う人は多くいるかもしれないが、筆者は「見切り発車」がいいきっかけになると思っている。

 会議に出ない→揉める、怒られる、怒られ続ける覚悟をする

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何も決まらない会議は、日本の定番。現職に入社したばかりの時は、自分のパートが30分しかないにも関わらず、終日の会議に朝から終業時間まで出ていた。筆者の出番は最後の30分。既に出席者は、集中力がない状態、だったが、現在は、出席はオプションとなっているため出席はしなくなった。出席せずともメールまたは電話で結果、プラン等は全て伝えることができる。会議は、どうしてもまとまった人数の同意又は意見を聞きたい大事な時のみ行うことが理想だろう。

  もう一つ。アジェンダはあるが、決定事項のないもの。共有だけの場合は、CEOが配信という形で伝えるのがいいと考える。前職では自社放送局で編集したCEOのコメントや社内ニュースを全国に配信する手法があったが、小規模でもそれでいいと思われる。朝礼行っている企業で、朝礼時に、朝礼でなければいけない話をしている企業はなかった。大抵数字の報告の際に朝礼が行われたが、本日の一言みたいなことを当番の人が言わなくてはならず、それを考えるのがストレスだった。いらないと思う。

  • 取り敢えずあって話だけでも聞いてもらいたい会議(誰かに行ってもらって内容を聞き、必要である時だけ次の会議に出る)

これは、経験上、上司がそのまた上の上司に1日何件最低でもXX件回らせろ、というような注意を貰った際に、部下に命ずる場合が多いかと思う。部下の時も上司になってからも件数は、数字を取るのは件数ではない、と思っている。全く関係がないわけではないとは思うが、全てにおいて等しいクオリティで回れるなら回っても成果は出ると思う。

しかし、お客さんの商品やサービスに関する情熱もまちまちなため、とりあえず会って話だけでも・・・から成約した例は、偶然のラッキーパンチを除き経験がない。それよりかは、相手がどれだけ小さなクライアントでも、自分のパッションに乗ってきて、製品やサービスを少量でも購入してくれ、それが功を奏した時の方が、100倍意味がある。まさに人の役になったミッションの結果である。そういう貢献を増やした方が得する人は増えるだろう。

 

7人以上の会議には出ない→7人以上いると話が纏まらない

本当にこれは正しいと思う。会議室が小さいのがベストというのがいいかもしれない。会議室が小さければ、多くを招待できないので自ずと少人数となるからだ。同時に資料の量も少量がベスト。色々な意味でダッシュボードの内容のみが一番理解しやすい。作成する人も読む人も楽でいい。

 

発言がなかった人は、次の会議に呼ばれない

会議は、決めるか話し合う、ために集まっているので、聞いているだけなら、ライブ映像を見てもらった方が効率的だと思う。発言がなかった人は、発言のタイミングをうかがっているとも考えられるが、そのタイミングは作るもので、待つものではない。日本の文化では、発言をした方が疎まれることも往々にしてあるため、発言しないという考え方もあるが、そんなことで昇進できない会社なら転職するか起業すればいい。海外から買い付けをして、アマゾンや楽天マーケットプレイスで売るだけでも、それなりの金額を稼げるはずだ。

人間関係(極端にわがままになる)

極端な例かもしれないが、これくらい極端にしないと、人は変われないし、変化を分かってもらえない。既読スルーすれば、相手を怒らせることもあるだろうが、仕事関係だけの仲であれば、それくらいドライになってもいい。逆に気を使い過ぎて生産性が落ちたのだから、自分の生産性を下げる相手からは、距離を置いてもらえてよかったくらいに思った方が何倍も先に進める。

 

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返信しない

  • 既読スルーで意思は伝わる→NOのメッセージ

極端な例かもしれないが、これくらい極端にしないと、人は変われないし、変化を分かってもらえない。既読スルーすれば、相手を怒らせることもあるだろうが、仕事関係だけの仲であれば、それくらいドライになってもいい。逆に気を使い過ぎて生産性が落ちたのだから、自分の生産性を下げる相手からは、距離を置いてもらえてよかったくらいに思った方が何倍も先に進める。

 

会わない

  • 自分で会う人間は自分側で決める
  • 相手に自分のスケジュールをコントロールされないこと

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ビジネスの場でもそうだけれど、保険などの勧誘業は、こういうのが多い気がする。保険の話を聞き、いいと思うことはある。その際、今の保険会社の内容をもう一度確認します、という返答をすると、いつ頃ご連絡差し上げればいいですか、と流れではそうなる。ただ、本当に加入したければ、そこで内容を確認するし、言わば、今回はいいですの意味なのだが、何とか繋ぎとめようとあの手この手で電話を連続かけてくる。

8割方正しいと思うが、恐らくSalesforceのような基幹ソフトを使っていて、フォローアップをしたとか、何件に電話を掛けたというような証拠を残すための行動の一つでもあると思う。

電話でも訪問でも内容に関する会話をすれば1件扱いするみたいなルールがあるはず。結果の数字が悪くてもプロセスの行動に関する回数が目標を達成していればひどい成績とまでは言われない、などの社内事情があり、月の商談回数の1を取るために、消費者や法人顧客の時間を犠牲にしてもらっている例だ。

数打てばあたるのは、嘘ではないと思う。しかしながら、その時間の犠牲になるのは、相手方だということを常に認識しておかなければならない。どれだけ有益な情報であっても、相手のニーズと合致していなければ、苦痛な商談にしかならない。苦痛から成約は生まれない。

社内の状況が変わるにつれ、断っていた案件がニーズになることがあり、成約することもあるだろう。でも、それはラッキーパンチのカテゴリーである。電話での話の際に、向こうから話を聞きたいという情熱を貰えない限り、その場で終わらせるべきだ。またSalesforceには、形式だけのために数字を加算するのではなく、現場の温度感を緻密に書き込んで知らせた方が、本当の意味での営業の質の向上になる。管理する上司は、その上の上司に正当性を伝えるために、部下の時間を犠牲にしているのだ。

会議に出ない、の下りで、沢山怒られることになる、と書いているが、上司に正当性を述べれば、怒られるだろうし、言い訳を言うなと言われるだろう。しかし、何度も転職した人なら分かるかもしれないが、

頭ごなしに怒ったり、人を切ったりしてきた上司は、科学的根拠は分からないが、不思議とあなたが辞めた後でも、辞職に追いやられている

これは、何社経験しても、自社でも先方でも同じ。人をひどい扱いしている人は、必ず窮地に追い込まれる。

筆者は、それを糧に強い風当たりでも前進することを選んでいる。

人間の層(太字だけ会うべき)

  1. 変革層 世界を変えたいと思っている層→会うべき
  2. 実践層 行動してもがいている層→会うべき
  3. 変えたい層 変えたいんだけど一歩踏み出せない層
  4. 気づいた層 諦めてる層
  5. ゆでガエル層 変革しないといけないということに気が付いていない層
    1. 説得しない
      • 人を自分で選ぶ
      • 無理して説得しない

久しぶりに会った友人が、過去に拘り何年にもわたり、同じ内容でネガティブにふるまっている姿を見ると、目も当てられない。その時に思った気持ちを素直に伝えるようにはしているが、そのアドバイスすら与える必要もないんだな、と最近は思う。

ネガティブな人がアドバイスを聞いて、立ち直れるなら、既に立ち直っている。アドバイスを受ける人には、適性があると考えている。何に対してもあまのじゃく体質の人は、何か対策はあるのかもしれないが、アドバイスを与えないようにしている。むしろ、二度と会わない方向にもっていっている。

逆に、意外と世間には舐められることは多いかもしれないが、アドバイス適正がある人は、詐欺にも会いやすいかもしれないが、素直な人だ。いいと思ったことに素直にいいね!が言える。そういう人には、犠牲を惜しまず力になるようにしている。

生活

  1. 本を読み切らない
    • いいと思える部分だけ読む
    • 自分に物足りなさを思わせる個所は読まない
    • 何でもいいところだけを習得する
    • 苦手や自分に合わないことを無理に習得する必要はない
  2. スマホをカバンに入れない
    • 会議中にスマホをチェックするのはいけない、という空気はいらない
    • 通知はオフでいい
    • 会議中に分からないことは、すぐにネットで調べた方が効率的
  3. 大きすぎる夢を持たない
    • 夢を持った方がいいというプレッシャーを捨てる
    • 自分が一番今やりたいことだけ、小さくていいからもつ。
    • 小さいミッションXアクションX数=実績

夢の個所も、小さい夢の積み重ねで十分自信をものにできる、というのが持論になっていたので、決して間違ってはいなかったと確認できた。

小さな夢を一つずつ叶えていくにも、そこへ行くまで精神的にしんどい目にはあったりするけれど、結局、時間が経過してみると、実現できたというのが経験から言えることだ。焦らないで今できる一歩を少しでいいから踏み出して欲しい。

人間は、「思ったことを形にする生き物」だ。思っていないことは、形にならないし実現しようともしない。だから、見切り発車が重要だと思ってる。結局、発車後に躓くことは常だが、最終的には、モノにできる。そういう考え方を持つ人が増えて欲しいと切に願っている。

人間は、「思ったことを形にする生き物」だ。思っていないことは、形にならないし実現しようともしない。だから、見切り発車が重要だと思ってる。結局、発車後に躓くことは常だが、最終的には、モノにできる。そういう考え方を持つ人が増えて欲しいと切に願っている。

 

複雑が文化の日本

j-town.net

明らかに新幹線のイメージは変わった

「新幹線N700系G30」の写真

利便性のイメージは今も昔も変わらない。変わったと思うのは、人。

子供時代に乗った新幹線のイメージは、向き合って座ってお茶やお菓子を食しながら、楽しく話をして田舎へ帰る

そんな楽しいイメージだった。

しかし、新幹線のお陰で日帰り出張が可能になり、筆者は飛行機より新幹線の方がスペースが広くて移動手段としては一番好きだ。だから出張で最も多く使うし、そうしている人もたくさんいると思う。

それが理由だからか、どちらかというと昔と比較して明らかに、社内で話せる雰囲気が亡くなった。うるさいと言われるからだ。

恐らく昔もうるさいと思っている人は多かったのかもしれない。しかし、メディアは一切そんなことは報じていなかった。

昨今、新幹線でのマナーという内容がメディアで取り上げられたことにより、ああいうことをするのが常識なんだ、と国民が思うことが増えたのかもしれない。

リクライニングに関する「倒してもいいですか」の許可はまさにそう。

飛行機になると、そんな許可を求めてくる人は少なくなる。恐らく外国人が多くいるから、なのかと推察する。新幹線との明らかな違いはそこにあるからだ。

新幹線で「うるせぇんだよ、おめぇら~」と吠えた女性

とある出張の際、新幹線で移動中、日本人女性の周りに外国人のツアー客が座るような座席の並びになっていたことがあった。外国人は欧米の人である。添乗員は日本人の女性。

外国人の方々は、山梨当たりで降りたが、その道中、新幹線の中で楽しく談笑していた。筆者は、出張先で必要な資料作りをしていた。集中していると、意外と周りの声は気にならなくなるもので、気にもかけていなかった。

すると、ツアー客に挟まれていた日本人女性が

「うるせぇんだよ、おめえぇら~、客はお前たちだけじゃねぇんだよ!」

と大声で吠えたのだ。

これには、外国人のツアー客も目が点になり静かになった。言っていることは分かっていなかったと思うが、自分達立ちに対して起こっていたことは認識できただろう。

どちらの側にとっても、不快な経験がここには存在した。

  • 日本人女性:外国人の声がうるさく感じストレスだった
  • 外国人:楽しいはずの移動が一瞬にして凍り付き目的地まで黙ることを余儀なくされた。

日本によくあるパターンだが、問題になる時には、双方に言い分が必ず存在する。しかし、先にクレームを言った方が、正となる流れが日本には必ず存在する。

今回は、日本人女性が先にクレームを言ったので、クレームを鎮めることが最優先となるため、話を楽しんでいた外国人が我慢して下さいのモードになる。

日本人で外国人が電車でうるさい、と思う人はいるのかもしれないが、実際に声を挙げて、「うるせぇ~」という人は少ない。後で、どこかでガス抜きをしてストレスを軽減していることが多いだろう。

筆者は、この場にいた時、大声を上げた側が日本人だったことに恥ずかしさを感じた。なぜかと言えば、外国人が行っていた旅行の移動の特急列車の中で、楽しく談笑するのは、どこの国に言っても受け入れられることだが、吠えた女性は、日本での普通しか知らないわけで、いくつかの国で特急に乗った経験上、非常に視野の狭い国民性という印象を与えてしまったことが、なんとも言えず恥ずかしかった。

言い換えると、こういうクレームが正ととられることで、本来そうではないはずの日本での生活が窮屈になってくる。家族で新幹線に乗ったこともあるが、気をつかってしょうがない。

元々いい行いなのに

リクライニングに対しての許可を求める一言は、本来、丁寧でいいことのはずが、いつの間にか面倒くさいものになってきている。

この際、新型新幹線を作る際は、

リクライニング許可ボタン

 

を作って、後ろの人が、OKボタンを押したらリクライニングできるようにするとか。

そうすれば、直接会話せず気まずい雰囲気も軽減されるのでは・・・

 

それにしても、本当に日本人は複雑にできている。世界一マナーがいい国民である一方で、うちに秘めた不満の多さも世界トップレベルかもしれない。

jisin.jp

情けない議論

河野さんの押印廃止には大賛成な筆者。それに対し、これを批判する団体が日本の変化を阻む大きな要因だと考える。

押印廃止を義務にしてもいないし、三文判を押すだけならいらないのではと言っているだけにも関わらず、誤解を招く配信をしてとクレームを言う。自分の事業がなくなるのではと必死に抵抗する。

政府は、どんなに批判されようと推し進めて欲しい。

戸籍を含め、日本を含め数えるほどの国しか制度のないものは、廃止をして欲しい。戸籍制度も色々な意味で煩わしい。

捺印、署名、どう違う?

電子捺印と紙への押印は同じだと思う。三文判は、どこでも誰でも買うことができる。

本人の押印ではないことをどう説明する?

筆者と同じ苗字の三文判を同僚、部下、上司、友人はどこでも手に入れることができ、筆者の決裁書類に全て三文判で押印したとする。

責任問題が発生した際、筆者の捺印がしてあるという指摘から、自分がしたものではないと反論した際、どのようにしていないことを証明できるだろうか。

これが署名だった場合、自分の筆跡ではないことを筆跡鑑定で証明することができる。その意味では、押印と署名に関しては、署名に軍配が上がると思われる。

ハンコ議連なるものが、押印廃止に抵抗している。また三文判を作っている事業者が三文判の恐ろしさを皆は知らないと猛反論している。

確かに押印があれば有効、なければ無効という判断をされる習慣があれば、その威力は大きいだろう。しかし、それが本人のものではなく、第三者によって100円ショップで購入されて押印されたものであれば、身に覚えのないものに関しても有効となる恐ろしさがあるのも事実。

冷静になって考えると、押印がないものでも、受け取る側の判断で有効、無効と言われるのは同じ。であれば、あってもなくても同じではないかと思われる。

判子業界は、行政が義務付けていたおかげで楽なビジネスをしてきた。座っていたって判子が必要なんだから、いずれ作りに来る。買わざるを得ないという社会の流れの中で楽な商売をしてきた。だから、電子化が進んできた今、判子の意味するものを代替できる新しい何かを考えることが出来なくなっているに過ぎない。

本人を特定するのが判子の意味であるならば

は、判子が意味してきたものに近いか同じだ。

そういうものを創り出すべきではなかったのだろうか?既にIT関連企業が作り出してしまっている。ITを否定する前に、こういうシステムを思いつく努力をしてこなかった自分達を戒めるべきだ。先を見据え開発していたなら、今頃、利権好きな彼らのもとに多くの大金が舞い込んできたであろう。

捺印しすぎな稟議書

社会人になってからの長い疑問。

稟議書自体は否定していない。プロジェクトを進めるうえで大きな予算が動くのであれば、その経緯を知る意味でも稟議書はあってしかるべきかとは思う。とは言え、会社によって大きく形態が異なっていると思う。

外資系で働いている時は、1枚ペラに予算と想定される利益、予算に対してどれだけの見返りがあるか、を説明して外国人上司から、署名を貰うか、メールでApprovalという返信を貰うことで承認の証拠となる。

60人ほどの日本企業での稟議書は、稟議書の会議が開かれるが、一番しんどかったのは

  • 紙ベースで書類を全員分用意すること
  • 説明後に全員分を回収し処分すること。

この書類を用意する作業に時間をかけたものの直ぐに処分をすることになる。手元に残さないのであれば、なぜプロジェクターではだめなのか

と頭を悩ませたもの。

また稟議書は、

  • 自分
  • 上長
  • 営業部長
  • 営業本部長
  • マーケ部長
  • 経理部長
  • 社長
  • ボードメンバーの全員

的な押印がずらりと並ぶ。全員回覧するのに出張者がいれば帰ってくる日まで待たなければいけない。もちろん今では全て電決済の会社も多くあるとは思うが、そんな中で未だに紙ベースは多く存在する。

稟議書に意味がないし、押印の効力も会社では強くないと感じたのは、稟議が通った案件がり、それを実施する際、直属の部長に、「俺は知らない、聞いてない」と言われ実施を止められたことがあり、稟議書を見ると彼の押印がある。押印ありますと伝えると角が立つので黙ったまま受け入れたが、押印の効力なんてそんなもんだ。

押印は責任を分散させるためだけにある

施策が思うようにいかなかったとき、赤字になったときなどに、誰の責任だのところで、営業部だ、マーケだと経理部長が言い放った時に、経理部長のあなたも了承したではないか、という時のためにあるに過ぎないと考えている。

もちろん監査的な要因もあるのかもしれないが、現実的なレベルで言うと責任の押し付け合い、でも誰も責任は取らない、押印が形式的に、の状態へ形を変えた。

個人レベルの話をすると、不動産関連。逆に実印だと一番簡単だが、マンション売却を依頼したことがある。3ヶ月ごとの契約更新で毎回、更新書を書き直さなければならない。その際、最初に押印したものと全く同じ判子で押印をしなければいけないルールがある。

契約ごとをメインでしている人は知っているのかもしれないが、消費者レベルで契約ごとなんて言うのは少ないから事情に疎い。そういう消費者からすれば、三文判は、誰でもどこでも買えるものなので、何を押しても本人が押印しているんだからいいじゃないかと思うけれども、面倒くささがぬぐえない。

押印文化に関し、社判とかは、その会社の人しか押せないというイメージが強いので、その効力はあるなと感じるし、実印も然りで、別の人が全く同じものを作れないだろうなとも感じるので実印を押しているなら押印は廃止しなくてもいいかもと思うが、三文判であれば、プロセスを複雑にしているだけなので必要はない。

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 決定権を持つ役職に就くのが55歳くらいで、定年まで5年~10年しかない。

20年前と比較すれば、この年齢も若くはなったとは思うけれど、それでも海外と比較すれば、若い人がリーダーシップを発揮できている企業は日本では少ないと感じる。7年ほどの間に4社で働き、その前12年の間に5つの企業で働いた。12年間で5企業の就労生活は海外法人という立ち位置の企業だったので、現地のトップは日本でいう部長クラスのような若い人は多いが、グループトップというと55歳以上の企業ばかりだったと思う。

決定権を持つ役職につくために燃え尽きるような気がしてならない。外資系で働いている時の外国人上司は、今のところ自分と同等か自分以上にITスキルが高い。また業務開始から目標達成までのリードタイムが短い。

現職でプロジェクトをしていて、その次の会議までのリードタイムが1ヶ月ある。外国人プロマネであれば、1週間に1度のペースで強引に進め、国内では半年かけるようなものも1~2ヶ月で終わらせていると思う。それくらいのんびりした気質がリードしているのが日本だ。

悲しいことに、その上を見て、それがプロのスピードなんだと、若いのにマインドが古く上書きされてしまっている若い世代も見受けられる時だ。本来なら、いや違うんじゃないか!とネットでコメントを入れているかもしれない世代が、社内では発言権があまりないために、洗練されるべきところが退化している例も見たことがある。

 

社会が変わるためには良い会社が残り、悪い会社が淘汰される資本主義のサイクルが日本でもっと出てくるべきです。

この考え方には同意見です。日本は100年以上続いている企業が多いと称賛されることがある反面、どう生き残ってきたかが見過ごされがち。

高い技術力の下、グローバルで必要とされ続けて生き残ったのか、政府や取引先のメーカーなど外部からの補填で食いつないできたのか、2種類が考えられるが、後者は多いと思う。

筆者の経験から言えば、卸に補填を売上にカウントしている悪癖がある。もともと長く食品にいたが、賞味期限が切れるとメーカーに返品してくるのは日常茶飯事だった。国内ではそれほどないかもしれないが、海外にある日系スーパーでは日常茶飯事。自助努力をしない文化が根付いている。

オーナーが60過ぎの人ばかりだったから仕方ないとも思うが、リスクを取らないのであれば誰だって成功する。

あとはリベート。これは達成リベートではなく、売った数に対し定額を払う。理由は、売先でリテールが決めた金額設定により卸が利益を取れない事象が発生する。競合がさげればこちらも下げなければいけない時に、卸が競合できる価格で卸す、その差額をメーカーが持つという形だ。これは海外の家電メーカーでも多くあったようであるが、日本でも普通にある。ただ、50-50なら致し方ないと思えるが、100%メーカー請求する大手がいる。卸は、痛手は被らない。

メーカーは、特に上場企業であれば株主のためにも利益を最大化することに注力し、どれほど人間的に仲のいい関係にある企業でも、ビジネスとして有効でないならばしっかり手を切らないといけないと考える。

また政府も生き残りがきつくなった企業を何でも補填で救済するのではなく、淘汰をさせて、起業にサポートを強めた方が、より新しいものへと脱皮するはずである。歴史的に補填が様々な局面で多いため、自力で生き残る能力を身に着けずに大きくなってしまっている現実を打開する必要があると思う。

日本が100年以上の歴史を続けさせた企業ではなく、続けられちゃう社会というのが正確な表現かもしれない。

「儲かるから」と“おはやり”のビジネスをしている企業はダメ。「こうすれば日本の企業が変わる」という熱意がある企業が伸びていく

民間企業の根底には、利益生み出す、ことは大前提。しかしながら、現状は儲からないことと分かっていながら、昔から続いている、仁義という観点から、利益にならないことを続けている企業が多くある。

一方で「儲かるから」という原点で成り立っている企業は、最終的にクレームになることが多く、「役に立ちたい」「世界を変えたい」と考えている企業は、何年たっても形を変えながら周知され長生きする。儲かるに社会貢献が伴わない場合は、いずれ淘汰される。社会貢献度があってニーズが生まれ供給が発生する。ニーズを飛び越えた利益は搾取でしかない。

搾取を減らしていくためにも、淘汰を厭わずに推進して欲しい。