挫折が最も優れた教科書

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時間だけはお金で増えない

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ティージョブズスタンフォード大学卒業式の際のスピーチは、何度も何度も見返す動画の一つ。自分が学生の時にこういう言葉を聞いていれば、様々な環境が今とは異なっていたかもしれない、と思わせてくれる反面、今からでも遅くはないと考え直させてくれる意味のある動画である。

全編にわたり分かりやすく哲学を述べている。私も海外で17年を過ごし、日本に来て感じる違和感の中で、このスピーチを聞くと、言っていることは共感できることばかり。

動画を見て感じたのは、「時間だけは、かかる時間を短くできるにしても、24時間というマックスを増やすことは不可能。だから1分1秒を有意義に過ごすべき」だということがスピーチから見て取れる。同じようなことをホリエモンも大学の卒業式に話している。成功者が一番大切にしていることが「時間」であることがよく伝わってくる。 

自省は何においても大事なTo Do

ティージョブズは、天才なのか、と問われれば、恐らく一般人に近い人である。ここでいう天才とは、アインシュタインやレオナルドダビンチのような人との比較である。そういう科学者や芸術家という対象と比較すれば、一般人に限りなく近い。

唯一違うのは「こだわり」や「集中」が他の人に比べて強かったんだとみている。

自分の志やこだわりが強いだけに、周囲を傷つけてしまっていることにも気が付かないほどに全速力で邁進したが、創業した会社からクビになる、という事態を招いた。このスピーチをした年齢になって、自分をようやく冷静に見られるようになった。

先日、子育てに見返りはない、と書いたのだが、どれだけ大切に真摯に育てても、色々と浮き沈みを経験して、ようやく親のありがたみが分かるのは、自分の死が見えてからではないだろうか?恐らく皆そうだと思う。

感じ始めるのは、「自分も子供を育てるようになった時」が一番多いかもしれない。次に「自分の親の死を経験した時」最後に「自分の死を悟る時」。

最近では、子供を産んでからも、尚、自分の親に育児を依存してしまう大人が増えていると思う。これでは、まだありがたみを感じていない。初めてありがたみを感じるのは、親を失う時か、自分の死を間近に感じた時となるだろう。

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人の死をきっかけに自省をするのは手遅れだ。しかし、スティージョブズのように、会社を解雇されたことで、自分がどれほど身勝手に周りを振り回してきたか、自分の成功のために、どれだけの人が彼に尽くしてきたにも関わらず、それに気が付かず精神的に傷つけたことかを、客観的に知ることは大きな収穫だし、また解雇が自分を戒めるうえであるべきことだったと、ポジティブに考えられることは成功するにあたり非常に大事なことであると思う。

目の前で起きることは全て必然という捉え方

生き様に正解はない。それがあなたにとって合うか合わないかでしかない。私は、いいことも悪いことも全て必然の下、自分に降りかかっている、という考え方を持つようにしている。いいことがあれば、自信をつけ、悪いことが起きれば、それは何かを伝えようとしている、と考えるようにすることで不安から脱することができるし、ポジティブに前進できる。

私には兄がいるが、兄とは顔も似ていないばかりか、人生の歩み方も全然違う。

私は挫折が基本の人生に対し、兄は上手く時流に乗れる人生を歩んだ。

大きく落ち込むきっかけになったのは、高校受験からだろう。

  • 高校受験
  • 大学受験
  • 就職活動
  • アメリカ生活
  • 離婚
  • 帰国後

誰でも受験等では挫折はあるとは思うが、ある人は目指した学校1つが1発合格という人もいるだろう。私は、とにかく第一希望に通ったという経験は一度もしていない。高校では都内の私立高校を第一希望としたが失敗、第二希望の公立もランクを一つ落として、進学校ぎりぎりの高校へと進んだ。

大学受験も第一希望は叶わず、その他全ても不合格。一浪して再度同じ第一希望をに挑むが希望叶わず、またしてもその他全て全滅。ここで英語だけが出来たため、留学の話を親から持ち掛けられ、3ヶ月後には渡米していた。

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大学では、あれだけ得意だった英語にも関わらず、クラス分けの試験で何と下のクラスへ割り当てられる。周りが正規のクラスを受け始めるなか、依然英語のクラスしか受けられず一人で挫折感を味わっていたものだった。

漸く正規のクラスを受けられるようになったと思いきや、財政的な問題で当時在学中だった大学を出ることを余儀なくされる。幸い州立で受け入れてくれる大学が見つかったが、学力レベルはいくつも下げなければならなかった。

新たな大学に移るも成績が振るわず退学の警告を受けることになる。あと3学期中に一定レベルまで成績を回復できなければ退学を言い渡すというものだ。美術やダンス、音楽など簡単にAを取りやすいクラスを余計に受けて、何とか3学期目でぎりぎり成績を回復させ、留学5年目で何とか卒業できた。

次は就職だ。今までの挫折をしないよう細心の注意を払い、大学3年生の時から就職活動をし始めた。インターン等はしなかったもの、就職面接は3年の時から始めた。しかしながら、卒業が間近でないと話もそれほどさせてもらえなかった。どこの面接に行っても「来年また来てください」しか言われない。ある意味、挫折を感じた。

大学4年を迎え、本格的な就職活動。今度は、来年また来てください、と言われることはまずない。面接の準備も万端、私を含めた仲間6人とキャリアフォーラムに出るべく、履歴書の添削をし合い、完璧に近い仕上がりの準備をした。根拠のない自信と明るい将来を思い描いた。思い描き過ぎたかもしれない。

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キャリアフォーラムは、仲間6人でバンを借りて向かった。各々専攻にあった企業へ飛び込んでは面接をこなしていく。私も沢山受けたうちの一人だった。3日間開催される中で、3日目は早々に引き上げる企業もある。勝負は2日間。1日目の終わりで仲間の4人は、何かしら次の面接か内々定を既に貰っていた。一人は元々TV関連の仕事を希望していたので、キャリアフォーラムは、その予行練習として参加。もともと内定は必要としていない。残る私だけが、二次面接も内々定も貰ってなかった。

初日に会場に入るや否や、私は第一希望とする企業のブースへ足早に進んだ。一番緊張する瞬間でもあった。準備期間では、模擬面接を仲間とするくらい綿密に話すことを考えていた。面接が始まると、あれだけ取り込んだはずの準備データが頭から瞬時に消えた。オートセーブを忘れた状態で電源が落ちたのだ。

惨敗と思われた面接を終え次へ向かおうとすると、スタッフに呼び止められた。「やばい、目に留まったかも!!」。焦らないそぶりで軽く振り返ると、耳元で何かを伝えるような仕草。

「この短時間で、人財って分かるものなんだ!さすがプロ」と思った矢先

「名札が逆ですよ…」

とこっそり教えてくれた。

「あ、ありがとうございます。うっかりしておりました。」

丁寧にお礼をして、これは落ちたな、という思いで次へ向かう途中、仲間の一人もいくつかの面接を終えて向かいから走ってくる。私も合わせて走ったところで、持っていたカバンの口が突然ガバーーと開き、中身が全て零れ落ちた。

出発する前日に購入した丈夫そうなカバンだったが、入口のバネが取れて、ばねも紛失。もう元通りにならなくなった。残りの就職活動の期間、カバンの口は開きっぱなしとなった。中学生の頃の女子のカバンを脇に抱えて持つ、みたいな持ち方をせざるを得なくなった。

2日目も同様、就職なし。残りの4名は数企業から二次面接と内々定を獲得。2日目の15:00ころ、予行練習として来ていた仲間が、「夕飯のレストラン探しに行かない?」と声をかけてきた。しかも間髪入れずに「今日も全滅って聞いたからさ 笑」と来たもんだ。「うん、滑りだしたら止まらないね」とレストランを探しにいった。車の中で私は密かに大挫折を感じていた。

その年の冬休みにも東京でキャリアフォーラムに出たが、全滅。大学3年から始めた就職活動という意味では、赤壁の戦い曹操軍並みの敗退だ。

ここで日本の帰国を諦めた。というよりも仕事がないまま帰国した場合、仕事が見つからないと思ったからだ。意を決して大学卒業後も米国に残って仕事をしてみようと考えた。

海外で生きることの厳しさ

まずは仕事先を探さなければいけない。大学を卒業して国内でオファーされている日系の仕事をまずは探した。

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運良く日本大使館での仕事を友人が紹介してくれて応募してみたら、すぐに受かったのだ。赤壁の戦いからは考えられない出世である。大使館は日本の公務員、公務員向けのビザが下りるということで、最初は学生ビザについている就労ビザで働いていた。その期間を半分くらい使った後で、日本の本部より永住権を持つ人のみを雇う旨、方針が変わったという連絡がきた。

赤壁の戦いはまだ終わっていなかったのだ。

すぐさま次の仕事を探していた時に、偶然出会ったのが海外のどこの拠点にもある、駐在員の子供のための日本人学校。日本から招聘されている教員の方と知り合うことになり、教員になることを勧められた。このスムーズさは、強運がいいと言わざるを得ないほどのスピードだった。面接もすぐに合格し教員の道を4年ほど経験する。

しかし、ここでも挫折は続いた。その日本人学校、実は土曜日のみの学校なのだ。平日の仕事がなければ生活が困難だ。当時は、ルームメイトや知り合いの家に居候を繰り返しフルタイムの仕事が見つかるまで凌いだ。

転々と変わる職

学校、テクニカルサポートのフルタイムの職が見つかり、今度は学校をやめることにした。すると3年ほどして、人生初のレイオフ。これがアメリカではよくある突然の解雇通告というやつか、という挫折を経験した。

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これを機に、営業という職に鞍替えをした。この転職を機に、住む場所もVAからNJへ移る。しかし、ここも激務の末、2年足らずで転職をしそこで5年弱の就労を経て、日本へ帰国することになる。

この営業を始めたころから日本帰国までの間に、結婚と離婚を経験した。

離婚の問題が持ち上がった頃は、職場でパワハラがあり、本部に報告をすることを決めた。が故に、その職場で働きにくくなることを鑑み退職もした。この時に同時進行で進んでいたのが離婚の問題。相手に他に思う人が出来てしまったのだ。そして離婚に際し住んでいる場所を引っ越すことにした。

そこは一人で住むには経費が掛かり過ぎたためだ。何とか別のとアパートへ引っ越し、そこで帰国を考え始めた。

退職、離婚、日本への引っ越しの3つが同時進行することになった。どれにも大きな挫折を感じ鬱になるかとも思ったが、一つずつ解決することにして、まずは離婚を成立するこ、退職の時期を確定すること、引っ越しのためにものを捨てることの順で始めた。

引っ越すための荷物を航空便で運ぶ際、17年の荷物がわずか7つの箱で収まった。

ここで取り敢えずの挫折を終え37歳になっていた。

これからも挫折は続くが、米国から帰国するまでのGreat Depressionだったと思う。その代わり精神的な強さは得られた。そういう意味で、自分にとってつらい経験は、必然に起こり、これからのために強くなれという天の声なんだと考えるようにしている。

言い換えると、精神的な強さを求められる何かがこの先に待ち受けているんだと信じている。

占いをすると、どこ行っても大器晩成を言われる。その晩成はいつ来るのでしょうか?もし神様とアポをとれるのだとすれば、まず聞きたい質問です。

大器晩成と同じ頻度で、「後世、大金を手にします」と書かれてあります。晩成もお金もいつをさしているのか。使えなくなるころに手にする可能性もあります。だとすれば、人のために使いなさい、という意味だと捉えています。

物事は捉え方次第で全て光が差している

これが今まで生きた上での結論です。

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https://unsplash.com/photos/facU72FcKBI

モノやコトは一元的な捉え方をすると、挫折や不安に感じるけれど、見る観点や捉え方を少し変えるだけで、いい教科書になる。物事のいい部分だけを見て前進することを勧めます。

早くに成功を収めたいのであれば、つまずいてしまう技能、人間関係は全てスキップして、大きく前進できることだけを選び信念を貫いて下さい。

「苦手を克服」なんていう言葉もありますが、克服できないうちに寿命が来たら元も子もないですよ。苦手なことは、それを得意とする人に任せ、その分野を諦めていいと思う。自分の得意なことだけで必ず自分が信じるものを掴めるように世の中はできています。できていないと思うなら、物事の暗い部分を見続けている証拠です。

今まで認められない人生を送っていても、どこかで誰かがあなたを見ていて、それなりに評価をしています。それに気が付いていないだけ。とにかく、人のために生きるのではなく、自分のために限られた時間を有効活用して下さい。