引退後の充実

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アメリカ人のこだわり

記事は、元ボンジョビのリッチー・サンボラの例を挙げているが、アメリカに17年滞在して見た明らかな事実は、父親の家庭内での役割だ。

これが拘りなのかどうかは分からないが、アメリカ人の父親や夫は、積極的に家庭に関わろうとしている。今でこそ、日本でも父親がかかわりを持とうとしている姿を見るが、筆者の父親の代、いわゆるベビーブーマーの時代は、子供とかかわりを持っていた人の方が少ないのではないだろうか?あるいは、その世代まで、子供との関りは、母親の役割と勝手に決めていた時代ではないだろうか?

そもそもそんなことは、社会が決めることではなく、自分が関わりたいか関わりたくないかの問題だと思うが、こぞってワンオペと決めていた時代が長くあったことは事実だ。それが当たり前だと思って生きてきた。

しかし、自分が親の世代となるような時代をアメリカで過ごすことになった。実に17年という長い期間だ。当時の年齢で人生の半分がアメリカでの生活となっていた。第二の故郷だ。そこで見てきたアメリカの家庭は、自分にとっては羨ましいものだった。

父親の子育ては普通

アメリカには、日本の父親のようにあまり子供とかかわりを持たない父親ももちろんいる。しかし、いわゆる中流や上流階級の家庭の父親は、子供の世話をするのが普通になっていた姿を何度も見た。

また子供のいない夫婦で、サンクスギビングやクリスマスの食事会に招待をされた際、旦那さんが料理をして洗い片しもしてという姿を当たり前のように見た。黒人の家族にサンクスギビングの食事会を招待された時も、食べ終わると夫婦で洗い片しをしていたのを見た。

正直、反省することばかりだった。日本という環境でも、同様のことをする両親もいるだろうが、多くの家では、父親がダイニングテーブルで座ってお酒を飲んでいるところへ奥さんがつまみやお酒を運んできて、夕食の用意をする。自分が子供の頃はよく分からないが、父親がどれだけ子供の頃の筆者を面倒見てくれたかは分からない。しかし、記憶の残る年齢からは、父親と一緒にいた時間が極端に少ないことは覚えている。

離婚後でも毎週子供の面倒を見る

今では離婚が日本でも当たり前になったが、アメリカでは1995年に渡米した時には、出会う友人の半分以上の両親は離婚して再婚をしている。StepmotherやStepfatherという言葉をよく聞いた。

日本で両親が離婚した人にはあったことがあるが、自分の生物学的な父親は覚えていないという。その人の母親は4回程離婚している。一人目の父親が自分の父親となるが、一度もあっていないという。親が会わせないからだ。アメリカでは、会わせなければいけない離婚裁判の判決がある。平日は母親の家、週末は父親というような例が多い。

離婚後、元妻夫が再婚家庭の集まりに参加

全部の家庭ではないと思うが、離婚が多く、兄弟全員離婚して再婚しているなんてことも勿論あったりする。家庭によっては、年に一度Reunion と言って家族が一度に会する日がある。その際、再婚した妻を連れて、自分の両親のところの集まりに行くがそこに元妻も来ていたりした写真を見せてもらったことがある。離婚して仲良くなるケースも日本ではあるが、離婚が普通に行われている国では、元妻夫にオープンな環境で会うことは、それほど変なことでもないのかもしれない。

アメリカ人の普通

子育てに関してだが、筆者の妻も外国籍。家事や育児に関しては、どちらかがやるというようなワンオペの概念がない。やらなければいけないというより、やれなければいけない状態でなければいけない。おむつの替え方、お風呂に入れたり、子供が散らかした部屋の掃除、料理や後片付け、夜の寝かしつけなど、役割は決めていないが、父親の方でやってしまうことも多い。

二人とも働いている時は私が担当し、妻が休みの時は、妻が掃除、洗濯、朝食を作ったりする。妻が働く日の時は、妻が朝食ついでに夕食まで作ってしまう。筆者はリモートで働きながら、子供の面倒を見て、食事を食べさせたり寝かせたりしながら、妻が返ってくるまでに、2回くらい部屋を掃除しながら仕事をこなす。

勿論、集中が出来ないので、作業の時は育児をしながらするが、集中が必要な数字作りの時は、妻が帰ってから部屋に1,2時間こもって仕上げるようにしている。

アメリカにいた時は、父親がそういうことをするのが普通であるように思えた。というより、父親の仕事なんだと思ったくらいだ。日本にいた頃は、父親が娘に嫌われている印象を受けていた。自分の兄弟に女兄弟はいなかったが、父親と凄く仲がいいという友人が筆者の周りには殆どいなかった。

しかし、アメリカに行ったときは、本当は好きではないのかもしれないが、父親が生理的に嫌だというレベルの人はあまり見なかった。

そういえば、アメリカの映画やドラマで父親が子供を寝かしすけるシーンがよくある。あれは、それが普通だからそういうシーンが良く出てくるんだと向こうに住んでいて思うようになった。日本のドラマで、子供を父親が寝かしつけているシーンはあまり見ない。それは、寝かしつける時間に父親が帰宅していないことが普通だからだろう。

日本にはなかなかいない父親像

リッチー・サンボラは、自分が小学生の頃からボンジョビを聞いていたのでよく知っている。当時は、レコードレンタルというサービスがあって、兄がボンジョビのSlippery When Wetのアルバムを借りてきて、それをカセットにダビングをして聞いていた。小学生の時にキーボードを弾き始めたが、兄がバンドでキーボードをプレイしていた影響で、ギター、ベース、ドラムを試し始めた。

ギターで初めて練習したのがBon Joviだった。結局自分にはドラムが一番向いていたので、ドラムを長らく叩くことになったが、Bon Joviはその頃から聞いている自分のロールモデルのようなバンドだった。

リッチー・サンボラが脱退していたのは知っていたが、ただの不仲だと思っていた。バンドを抜けたり解散したりすると、印税が切れた頃に再結成してベストアルバムをリリースするというようなトレンドがよくあるが、リッチー・サンボラのように、娘と仲がよく、常に娘をサポートする引退後の人生は有意義だと思う。

娘がまだ嫁に行く前だからこそ、今のうちに娘との時間を謳歌しておこうと思っているのかもしれない。こういう父親がいると、娘もなかなか彼氏を作りにくい。というのは、父親以上の男でないと、付き合おうとすら思えないことも多々あるからだ。

息子も然りだ。母親が綺麗で優しく、何事にもかかわってくれる母親だと、彼女にもそれを求めてしまい、もちろん同世代に、そこまでできた人間などはいないから、なかなか彼女が出来ない息子もいるだろう。

でも、リッチー・サンボラは、全盛時代でも、世界のどこへツアーへ行っていても、娘のイベントごとには駆けつけていたという事実は感服。素晴らしい父親だ。勿論、超がつく金持ちが故に自家ジェットを持っていたのか、あるいは持っていなくても、飛行機を手配して、その日だけは一緒に過ごすと決めているポリシーが凄い。お金持ちも、高級品を買いSNSに挙げる人もいれば、溢れんばかりにお金を持っていて、与えるわけでもなく、家族に会いに行くために惜しまず使う姿は立派な親だと感じる。

ファンとしても嬉しい

ファンとしてりっちー・サンボラのいないボンジョビは、何か物足りないので、あまりコンサートに見に行こうとも思えないが、戻ることがあれば、是非もう一度見たい気がする。ボンジョビのコンサートは、88年に行われた日本のFinal Countdownのショーだ。

あれ以来、95年に渡米してからボンジョビのコンサートは何度となく行われていた。米国での晩年は、ボンジョビの本拠地、NJに住んでいたのでコンサートツアーも何度も開催されていたが、それでも一度も見に行っていなかった。

また引退すると、映画俳優もミュージシャンも体系が崩れ、見る影もないなんてことはよくある中で、リッチー・サンボラは依然変わらずの体系を維持している。その姿で娘を献身的にサポートする父親としての姿は見習うべきだろう。お金持ちになってもおごらない姿は、誰に対してもいい鏡として映る。

目立った散財でスクープされることもないし、スターの資質があり人としての資質も父親としての資質も持ち合わせているセレブはそう多くはない。貴重な存在の一人と言えるだろう。