転移を繰り返すがん細胞と同じ

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その企業の内情は、その営業マンの姿勢を見るだけで大体判断が就く。もちろん、営業マンには限らず、その企業で働く人の対人姿勢に表れている。三菱商事と書かれてあっても、筆者の経験からすると、三菱系列の会社出身の人は少なくとも皆同じ姿勢で、トップダウンが多い。あくまでも経験上の話である。一方で伊藤忠の方とも仕事をしたが、伊藤忠の方々は、我々のような中小企業相手でもビジネスパートナーという対等な扱いをしてくれていた。あくまでも、その時代の政権ではそうだった。

恐らく、三菱の社員も仕方なくそうしていた人もいたであろうし、新入社員の頃から、その姿勢が社会人の姿勢だと思い成長したと確信している。

 

カルマは存在する

筆者は今まで食品の営業を長くやっていて、レストランやリテールに営業に行くことが多かった。簡単に言うと注文取りだ。古風なやり方だったが2000年後半でも米国では、現場に行って一つ一つ業者が注文を取るというのが主流だった。

そこで業者に対して、従業員に対して強く当たるオーナーや上司がいるところは、繁盛しないか、繁盛していても不正等で突然潰れるというのを目の当たりにしてきた。カルマという言葉が科学的に証明されているかは分からないが、カルマは信じている方である。行いが悪ければ自分に悪い形で帰ってくる。

また飲み屋や職場以外で女性の対しての態度が横柄な人は、確実に社内で部下に対して態度が横柄でパワハラ気質であることが多い。ほぼほぼ当たっていると思う。

現地採用であった筆者が米国で飲料業界の営業で飲み営業をしている際、若い駐在員の同僚は、ことあるごとに駐在員の方が偉いと筆者にマウントを取ってきていたことがあった。酒癖の悪いその同僚は、お酒を飲むと、飲み屋の女性に暴力的にもなるし、とにかく態度が悪い。会社のお金で飲んでいて、翌朝、その記憶は全くない。接待という名のお遊び三昧だ。

本人は、駐在で偉いから将来は米国社の社長になりたいと豪語していた。かくいう私は、現地法人の社長は、現地の人間、アメリカであればアメリカ人が望ましいと常々話していた。

筆者は結局、扱いが悪いことと給与が希望以下であることで退職をし、帰国を決意した。幸い、帰国後は給与レンジも希望額まであがり結論を言えばいい選択だったと言える。

数年が経過し、退職した別の同僚経由でLinkedin で再会、彼が言うには、米国支社の駐在は全て帰国となり、何名かは退職でやめたが、社長も現地の人間が就任したということを耳にした。この時、やはりカルマは存在すると感じた。横柄だった元同僚は、帰国となったが、その会社は現地法人の社長を現地の人間に任せるようになったため、彼の抱いていた海外法人の社長のポストは叶わなくなった。

日本に帰国して思うのも同じこと。日本の現地法人を外国人が務めていると、従業員の殆どが、また外人が訳の分からないこと言っているなんてことを、よく言っているのを聞いていることだろう。

またリーダーシップを発揮して、流れを変えようとするグローバルの判断に対し、何とか日本では上手くいかないということを、身をもって証明させようとすることに現場の人達は労力を費やすことだろう。と思えば、いつの間にかグローバルの駐在員は解雇になるか異動になるかという感じでいつの間にかいなくなる。

 

コロナがもたらした変革への最後通牒

コロナは、多大な被害をもたらしたが、同時に腰の低い古いやり方を変えようとしない人に対して強制的な変革を起こさせる流れを作った。日本はそのいい例かもしれないが、新しいことに目を向けているアメリカがこれほどまでに打撃を受けたならば、その中にも古い体質がこんなにも多く眠っていたのかと気づかされた。

筆者にとってみれば、パンデミックは初めてのことで、多くの人にとって初めてだろう。歴史を紐解いてみれば、3回の波が来ると書かれてある。内容を深く理解しなくても、3回来ると仮定すれば、1回目で何とか生き残る、2回目に備えた準備期間により2回目を何とかしのぐ、備えた準備が半分以上揃ったところで3回目を迎え、満を持して3回目を無事に乗りきり収束を迎えると捉えるのが賢いだろう。

日本は、インターネットがこれだけ普及しているのに、今だにFAXで注文をとる旧態依然としたやり方が普通に行われている。海外は、上司がITリテラシーに長けているのに対し、日本はその逆だ。もっと言うと日本は、改革という大仕事としてやらなければ、働き方を変えられないというところまで闇がはびこっている。

日本にパワハラ多く存在するのは、そもそも従業員が我慢するからと以前話したことがある。海外であれば、すぐにやめる。もっと言うと、飲料を販売している時、米国では卸のドライバーが解雇通告された後、自分の車から機関銃を持ち出し、解雇した自分の上司を含め、会社に対して無差別に乱射するという例を、自分の顧客で2つ以上見てきた。

海外では、解雇が頻繁にあるが、殺されるというリスクも負っている。日本は、辞めたいという従業員をやめさせなかったりする嫌がらせがあるが、日本の大部分の市民が常識的な考えを持ってくれているおかげで、そんな嫌がらせも、黙って耐えてくれるのだ。そういう意味で、日本は雇用主が労働者に甘えている。

コロナを機に職を失う人も多いかもしれないが、ここで政府に言いたいのは、こういう状況で倒産をする企業を、逆に言えば無事に終わらせてあげて欲しいと思う。淘汰、これは資本主義の社会では、社会がよくなるために必要不可欠だと思う。

倒産させてあげて欲しいというのは、倒産する企業としない企業があるわけで、その違いは何かということを考えたい。倒産しない企業は、備えている企業、または健全に将来を見据えて、リスクを分散して商売してきた企業ではないだろうか。一方、倒産する企業は、リスクが集中していて、そこにダメージが来ると、もう這い上がれなくなる、または本業の利益から成り立っているわけではなく、メーカーなどから補填を貰いながら生きながらえてきた企業ではないだろうか。

これからも生き延びる企業は、政府が支援しなくても生きてこれたところだと確信している。多くが職を失い路頭に迷うかもしれないが、政府が何兆円も予算をはたくのなら、企業を倒産させて、その影響を受けた人に多くをかけて救うのはいいと思う。その人たちが起業をしたい時の支援金を多く出すとか、そちらの方が建設的で、コロナ禍を想定して企業創りをするので、次世代のものが生まれると思う。次世代を生き抜く生命力のない人は、これからの未来も生きていくのは難しいのではと考えずにはいられない。

日本は、生産性が低い中小企業が多いから、国全体の生産性が低いと言われるが、物理的な要因もしかりかもしれないが、生産性が低い一番の要因は、マインドセットだと思う。海外の人と比較して利益を取るというマインドが低いと感じる。

日系が重んじる仁義が一方通行

日本には、紳士協定のような「仁義」が存在しており、それが生産性の改善を阻んでいる。分かりやすい例が反映されているのが、リベートや契約書に記載されてはいないが半永久的に専売が約束されている卸との取引である。

 

筆者が働いたことのある日本企業では、売買契約書が一般的なもので、目標とする販売額等が記載され、目標に達しない場合は、契約の解除も考え得る的な内容は書かれていない。外資系メーカーで、年の販売数量を定めているところもある。私は、認知度が低く見下されているメーカーであっても、その一分は記載するべきと考える。いつ、どういうタイミングで人気が出るかなんて誰も想定できないからだ。

卸の世界では、帳合というのがある。契約書で専売と定められていないが、取引企業間で御社からしか買わないという、御社を通さないと店舗は購入できないという口約束である。これが破られると、もう売らないぞ!という脅しをかけられるというシステムだ。

これはただ売るという行為だけでなく、店舗の依頼でセールを企画しても同じことで、店舗の依頼でセールを相談され、セール価格で提案を出したとする。また配送もメーカーから直接店舗へ届けるとする。卸は起伝のみ、何もせずに売上だけが自動的に入ってくる場合でも、何らかの理由で卸がNGを出せば、セールすらさせてもらえないという変な仁義が存在する。

筆者が理解している仁義は、こちらも相手に助けられた、だからこちらも相手を助ける、という関係。しかし、卸とメーカーで存在する仁義は、卸は在庫も持たない、配送もしないと卸のメリットである努力を何一つしないにも関わらず、メーカーだけが卸に対し、利益補填やリベートを払い続けている。仁義を破れば他の卸へもその知らせが伝わり、将来的に不利な状況になることを恐れ、必要悪として利益効率の悪いビジネススタイルを続けているのだ。これが生産性の上がらない一つの要因でもある。

昨今ECが台頭してきているが、もしAmazonが、メーカーが最も卸を頼る配送の部分を担うサービスを始めてしまったら、世界中の卸は間違いなく終わりを迎えるだろう。メーカーは、配送費を浮かせたいから卸を通している。直送を強いられるのに、卸価格は低いままというのは、誰が考えてもおかしい。

またクレームがあったとする。消費者→店舗→卸へ向かう先はメーカーになる。補填をするのもメーカー。破損があったとして、それが卸で発生したとしてもメーカーが補填する。米国にいたころ、一旦メーカーの倉庫を離れてしまうと、破損などの責任は、購入した卸側の責任となるため、メーカーは損失の補填をしてくれることがほぼない。卸側で全てを解決していた。保守的な米国のビール卸でさえ、クレームを貰ったことは一度もなかったが、日本の卸からのみクレームが発生していた。

卸を通せば、営業マンが行く先々で商品を紹介してくれるので、営業マンの少ないメーカーは助かると思いがちだが、卸て働いていた経験上、認知の低いメーカーの商品を行く先々で紹介することなんてほぼない。店舗のバイヤーが卸の取扱カタログの中から、見つけるまではずっとお蔵入りに近いのだ。

Amazonを担当したことがある人ならわかると思うが、リテールでのプレゼンスが弱いブランドも、ECでは売れるということは往々にしてある。筆者が現在取り扱っている商品も店舗でのプレゼンスは低く、取り扱ってもらえないことが多い中、アマゾンであれば、新商品を登録しただけで、売りはすぐに入る。もちろん、過去の販売実績があってのことだが、リスティングしている期間が長ければ長いほど、どの商品にもチャンスは巡ってくる。

またメーカー→Amazon→消費者という流れて商品が動くため、どう考えても卸と同じ機能を果たしている。唯一の違いは、エンドが小売りではなく消費者直接という点だ。Amazonも法人向けサービスを行っているし、卸のECというのも存在している。卸が卸のECサイトを通して販売もしている。いわゆる二次卸だ。個人商店がその売先だ。個人商店で卸の口座を開けられないというところは、それなりに存在している。筆者もEC卸を活用し、メインのチャネルではないカスタマーへ商品を届けている。

未だ、大手卸が大手リテールの配送を請け負っているが、リテールだって価格も配送頻度も同じ、24時間注文を受け付けているのであれば、AZのような企業が卸であっても何ら違和感は感じないはずである。

輸入業をしていた時、クレームが発生すると、エンドカスタマー→卸→メーカー&輸入元へ補填責任が来る。輸入元であれば海外メーカーの工場へ調査を依頼する。このようなことが度々あったが、海外メーカーに尋ねてみると、クレームが発生して、ここまで調査の依頼を求められるのは、日本のみだと話していた。

クレームのおかげで品質の向上が期待できるので、そこはポジティブにとらえているが、問題なのはその内容である。段ボールの角が少し丸くなっていて、中身は無事な時でも戻ってくる。一度戻ってくると再度出荷できない。箱を入れ替えて出荷をするなど、何度手間のコストがのしかかってくる。

色々と書いたが、歯がゆいのは、このような慣習は、もともと取り扱いをしてもらうためにメーカーサイドが考えた苦肉の策というところだ。大手も元々は認知度の低い企業であった。少しでも取扱いをしてもらうために、販売数量に対してリベートを出したり、店舗から卸へ返品があった場合でも全てクレジットを切ったりなど、返品を受けたのが始まりと言える。

エンドカスタマーは、予め供給責任を果たせるための在庫をメーカーに持たせるも、売れなかったり賞味期限が切れたりしたものを返品してくるところもある。個人商店からは受け付けない卸は多いと思うが、大手量販店から依頼されたら卸は受け入れ、その返品分をメーカーへ返品してくる。エンドはリスクを取らない。Win-Winなどは存在していない。

携帯電話の料金が高いとか、退会手数料の高さに対して政府が関与してきたが、この卸とメーカーの献金じみたクレジットやリベートの商習慣にもメスを入れて欲しい。

そういう意味で、コロナ禍を理由に、利益確保が必要とされ、本来するべきではない利益補填やリベートを廃止するという決定が下しやすくなった。これを機に企業努力をしている企業が生き残り、補填を頼りにしている企業は淘汰を余儀なくされて欲しいと願っている。