コロナはリスクではなく救い

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コロナ禍で見えてきた現状

中小企業が次々と廃業や倒産をしてきたが、大企業も今までの経営形態がいかに利益を食い尽くしていたかが浮き彫りになったのがコロナの成果だと思う。不謹慎と叫ぶ人もいると思うが、そう思う人は是非とも叫んで欲しい。

自分も経営をしている立場なら、国や行政が助けてくれないという気持ちもあったかもしれない。しかし、国や行政がいざとなれば助けてくれるだろうと思って企業したり経営者になったのであれば、いずれにしてもいつか淘汰されたはずである。

前にもブログでは何度も書いてきたが、既存の古くからの企業で、取引先メーカー等から補填を期待しすぎ、何かマイナスがあってもメーカーに被らせようというのがインフラの感情になってきていることが問題だ。

コロナ禍の飲食業の10時以降の酒類販売禁止というのは、筆者も「ちょっと言っていることが分からない(サンドイッチマン風に)」けれど、それ以外は、助ける助けないで言えば、助けられないでも仕方ないと思っている。

補填があったお陰で危機を乗り越え、その後生産性の高い大きな企業へと躍進したという企業であれば、行政の助けは美談となり、今後も受け継がれてもいいと思うが、多くの企業が、行政の助け→何とか生き残る→今までと同じ経営手法を続けて生産性は低いままを繰り返しているような気がする。

淘汰というのは、市場経済の中では必要で、淘汰、廃業、倒産を繰り返して、世代や業態、消費者のニーズがそのタイミングで変わっていくと思う。日本は高齢化社会で、その世代がお金を持っていて使ってくれる。だから高齢者に支持されるサービスを展開する、というのは至極理解できる施策だとは思う。しかし、高齢者は自分の力を次の世代へ引き継いで欲しいと思う。

継がせなければ、若い世代は経験も知識も増えない。失敗も若いうちに出来ないまま、年齢だけを重ね、失敗を恐れる、あるいは保守を求める年齢へと突入していく。その頃に経営者になっても遅いのだ。何も変える事なんて出来ないし、経験も知識も培えなかったから、コロナのようなパンデミックがあっても、舵なんて取れやしない。

外資になったからこそ見えた現状とテコ入れ

正直、武田薬品工業外資になったからこそ、この現状が見えた後にテコ入れできたんだと思う。これが日本の企業だったら、現状維持で生き残っていただけだと思う。日本の経営者は、雇用を守るのを美徳とする。正直筆者もそれは大切だとは思う。少数なら新たなニーズに対応するビジネスユニットを作ってそちらへリソースを回すなどの策が取れるが、ここまで多くの人数が動かなくても売り上げが横ばいということは、ある意味忖度で雇用していたような現状がばれてしまったというようにも取れる。

つまり、この売上は、OO人の営業が回っているから取れているはずだ、という明確なリサーチもないまま雇用されていたのではないかということだ。

正直、筆者の会社でも、コロナ禍で出張禁止、接待禁止、取引先からは営業禁止というのがあり、電話だけでつないできた。その結果、Q3の時点で目標の利益額を達成したのだ。売上は、目標にこそ届かないものの、正直90%以上は保てており大健闘と言えるのかもしれない。

戦略をリテールからデジタルへ変えた企業もいるだろう。そういう会社は、今期は成果はまだ出なくとも、来期以降で大きく飛躍するはずだ。多くの企業はデジタルで戦略を既に展開している。そういう企業がコロナ禍で、相当な財政的な問題がない限りは、廃業や倒産といった方向へ傾いたとは考えにくい。

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製薬のMRが高給取りなのは周知の事実だが、リストラで一人が担当する範囲が広がろうとも、件数を回らず電話対応でも、少なくとも横ばいなら、リストラをして残った人の給料を多少上げれば、不満も減るだろうし、一人当たりの人件費を増やしても、利益は今まで以上に残るだろう。

武田薬品工業のように、営業マンが動かずとも売り上げ横ばいであれば、システムで売上が取れていると見て取れて、それはそれで経営戦略としてはいいことなんだろうと思う。たまたまMRが多すぎたに過ぎない。

筆者は、システムで売上を取れるようになって初めて土俵に乗れると思っている。個人の営業スキルのお陰、個人の人脈のお陰で数字が年々伸びている企業は、いつか躓く。人が入れ替わっても、注文が入ってくるようなビジネススキームを創り上げるのが経営者の責任だと思っている。

筆者は転職の数は多いが、そのお陰で自分なりに統計が取れる。どの企業も、大企業であっても、自分達の企業は、世の中をどうしたい、というのが感じ取れない。企業理念は書かれてあったりして存在するのだろうが、売上が最終目標に取れる企業しか見てない。

働いた企業の中で、売上の向こう側を語る社長はいたが、どれも重役連中に疎まれ裸の王様状態だった。中には、本部に根回しをされ、帰国をさせられ、根回しをした人物が社長になった事例もあった。しかし、その本人も公私混同が問題になり、会社を追われ自主退職をした。

役員が難攻不落の砦

企業が下降傾向にある場合、社長がメディアで叩かれることは多い。実際、社長の暴走は色々な企業で起きているだろうと思う。しかし、社長には情熱があり、世界にとってどういう存在でありたいかを描いている社長もいる中で、組織に浸透していないケースも多くあると思う。その障壁になっているのが、役員と上級役職のネグレクトだと思っている。

ネグレクトとは、子育て放棄を表す言葉として使われる。ネグレクトされた子供たちは、心に大きな傷を負い、その後の将来の大きくネガティブな影響を及ぼす。企業は家族ではないが、家族と同じ考え方をある程度あてはめることが出来る。

結局、親の背中を見て子供は育っていく。親の振る舞いや持っている常識が、子供の将来のそれとなる。組織でも上級職の売るまい方が結局、その下の役職の振る舞い方や考え方になり、それが現場の人間の考え方となる。その考え方に共感できず、反面教師となった人材が退職をしていく、という図になっている。

退職した側がいいとか悪いとかではなく、どういう人が残ったのかということ。社員の教育を放棄しても尚残った社員が、情熱をもって働いているとは思えない。実際、上司であるあなたが、上司から叱責だけを受け、教育の機会も与えられない職場環境で、退職者多く出る中残ったとしよう。それでも、情熱や希望をもって働き続けられるのかどうかを自分自身に聞いてみて欲しい。

少しでも自分は嫌だけど、という気持ちがあるなら、それを部下に押し付けるのは間違いだ。自分は経験して強くなったんだから、と誤解している上司は多いと思うが、そんな経験はしなくともいい経験だからだ。自分が嫌で非効率で、非生産的な経験をしている裏側で、毎日がやりがいのある仕事で、失敗もするが新しいことをすることに対して背中を押してくれ、生産性も高い仕事をし続けている人がいるのだ。

昔ながらの働き方から抜け出せない人ほど、レイオフと転職を繰り返して、他の会社の姿を見て欲しいと思う。それが一番の外科手術だと思う。

腫瘍ができれば、主要を切除するだろう。その人を残すことの方が、その人に対してためにならない。レイオフの対象になる人は、高給取りか他でも十分に通用しそうな若い人であることもある。しかし、会社都合の解雇は、会社の業績をV字回復させるために行うのだから、精鋭と将来有望な人を残すべきだろうと思う。

また多くの企業が機能価値を見て解雇対象を決めているかもしれないが、存在価値を優先して残していくべきと考えている。存在価値の高い人材は、数字を取れないかもしれないが、組織が纏まる人材であることが多い。その人の言動には、組織の多くの人間が共感する、そういう人材は残すべきだ。

機能価値の高い人は、転職市場に多く転がっているから、そこで雇用をすればいい。しかし、存在価値の高い人は、転職市場にいたとしても面接の時点で見つけることは至難の業だ。その企業での歴史があって共感が生まれ文化として存在しているのだ。

かなりの人材を放出しなくてはならない状態で、精鋭が手元の少ししか残らなくなったとしよう。それでも存在価値の人だけでも残っていれば、あとは建て直しでいい組織を創り上げることが出来る。逆の言い方をすると、存在価値の高い人を放出してしまうと、その価値や共感が競合に亘り、将来的にはリスクになる。

どこの企業も業績が悪いと言ってリストラを断行した後に、雇用している。だから人材の流動資産は機能価値の高い人物だけでいいのだ。プロのサッカーチームと同じ。サッカーのチーム作りは、多くが機能価値の売り買いだ。キャプテンシーの高い人物だけ残しておいた方がいい。

そういう意味で、コロナ禍は、そういう決定をしやすい環境を整えてくれたと言えよう。放出されてしまった人は、くよくよせず、放出されたのはあなただけではないと考え次を直ぐに探し出そう。また放出されたということは、組織からは機能価値としてしか見られていなかったと自覚しよう。自覚をして、存在価値になれるように精進しよう。

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