やってみなければ分からない

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「カメラをオフにした」リモート会議で組織がダメになるなら、もともとダメになる企業だと思う。会議に見られている緊張感がないから会議に集中しないとか書いてあるけれど、会議に集中をしない理由は見られていないからではなく、会議の内容に意味がないからだと思う。多くの場合、自分に関係がない内容を協議する会議にまで、招集がかけられていることも少なくない。

国内企業であれば、なおさらだろう。とりあえず招待しておくというような。筆者の現職でも、会議室にあふれるくらいの人を集めて営業会議をしていたことがある。内容は殆ど報告会なので、全く関係がないわけではないが、正直、上の人だけでも聞く必要がない内容もある。

筆者は、幸い招集が途中からなくなった。勿論、筆者のパートもあったのだが、丸一日継続する会議で、最後の30分程が筆者のパート、正直、出席者の多くは集中力も切れている状態。顔を合わせる会議が必要だと思っているのは上司だけ。特に相手の顔の反応を見ないと進められないと思っているなら、もともと会議の進行が下手な上司だと思うし、会議は定例だからやっていることが多いと推測する。

会議は、何かを決める場所で、相手の顔色をうかがう必要はない。伝えなければいけないことを伝えて、どういう決断を迫られている。皆の決意を聞きたい。として、顔が見えなくても、指名して意見を聞けばいいだけのこと。顔が見えない事よりも、リモートの音声の不具合等のインフラ面を徹底することの方が大事だ。

現職のグローバルの会議では、Topの人以外顔を見せている人はいないし、多くの場合、Topの人も顔を見せない。四半期ごとに社長からのビジネスレビューがあるが、それは社長の話を聞くモードのTV会議で全員がカメラもマイクもオフにする。そんな現職のパフォーマンスは、コロナ禍においてプランこそ届かないことはあっても、数%の未達や利益は何か月も前に予算を達成するなど、かなり健闘している。

リモート会議の立ち位置

リモート会議の立ち位置が各会社で異なるのは理解できる。しかし、顔を見せる=勤勉、優秀社員、成績がいいとはならない。なると考えているなら、顔を見せない社員を解雇すればいい。困るのは上司だ。リモートに顔を出せない理由を、仕事をしていないからとひとくくりする上司であれば、なおさら、上司をやめた方がいい。

現場の人間であれば、移動中ということもあるだろう。車で移動中であれば、音声だけでも電話のように受け答えが出来るが、電車であれば応えるのも困難だ。上司は現場の人間が、会議に出る1時間や2時間の間に、何件か回れる。上司が欲しいのは、会議に顔を出して話を聞いてもらうよりも売り上げのはずだ。であれば、大事な時にだけに絞るべきだ。

情報の共有であれば、上司だけが伝える一方通行のTV会議でもよく、社員は聞くことに専念する。顔を出す必要もない。

そもそも、顔を出さなければいけない絶対的理由を何と答えるつもりなのかを知りたい。

日本の会議は、仮にその会議に出なかったときに失うものは何かといった場合に、何もない。であれば、強制力もないし、そもそも開催の必要もない。

ディスカッションをするつもりであれば会議は必要だが、一人一人から話を聞き出す場合であれば、気になる社員だけをピックアップして電話で十分だ。

また人数が多い場合、ディレクターはマネージャーから共有を受ければいいと思う。マネージャーの下にも多くの部下がいる場合は、スーパーバイザーやリーダーである人から共有を受ければよい。

会議の特徴は、一人が話している人は、他が黙っていることが多い。その多くがメールチェックをしている音がするのをよく耳にするはずだ。会議は、定例をなくし、緊急の時のみでいいとする方がよい。捨てることも大事な戦略だ。

ひらめきの瞬間を含め、社員に一番大事なのは「時間」だ。自主的に早く始めれば、1日多少多めに仕事をする時間を持てる。会議に生産はない。あるのは、共有、決定のみ。決定であれば、次の段階に進めるが、共有は「知る」以外に特はない。知らせるだけなら、任意の参加で上司が配信する形をとればよい。

 日本は朝礼が好きなのかもしれないが、子供の頃から朝礼から得た成長に足る知識は一つもない。朝礼のために早く来るのがばかばかしく感じる。そう感じる人にとっては、絶対的に効果を発揮しえない。

朝礼で期待できるのは、話を聞いた後の一体感かもしれないが、そうであれば感じさせて欲しい。今まで朝礼で話してきた人の誰一人として、一体感を感じさせえるスピーチをしたものはいない。であれば、なくすべきだ。そういうスピーチが出来る人がいる会社だけ継続したらいいと思う。

やってみて初めて分かる

映画を例にとってみるが、人気俳優と有名監督で製作された映画が意外とこける時もあれば、予算がなくハンディーカムクオリティーで無名の俳優を使って製作された「ブレアウィッチプロジェクト」というホラー映画が、大成功した例もある。

強いものが勝つ時代ではなく、勝ったものが強い。勝ちは誰にも分からない。筋肉通しのぶつかり合いなら、筋肉の多い方が勝つかもしれない。しかし、成功の結果が、それを体験する消費者側に委ねられている場合は、絶対とは言い切れない。映画や本や絵画は、見る人と作り手の哲学が共鳴した場合にヒットとなる。だからこそ、勝利の確固たる定義はないと言える。

リモートも始まったばかりだ。その時期に顔を出さないから、組織が崩れると言い切るのは早い。今の段階では、リモート会議に顔を出さない組織が崩れるなら、それまでの組織だからだ、としか言えない。

筆者の母は74を迎えるが未だに仕事をしている。高齢が故に、雇用主も足元みている。このご時世に未だに給料を現金払いで、事務所まで取りに行かないといけないのだ。勿論職種によってはそういう企業もあるかもしれないが、母が働いている企業は、TVCMも未だにやっているような大企業だ。

せこいとしか言えない。現金払いにする理由は、手数料をケチる、くらいしか考えられない。現金払いでも、税務署に申告する必要があるため、税務署をだますことはできない。母はたかだか32,000円のために事務所まではるばる出向かなければならない。バイトに対して現金払いをしているところは今でも多いみたいだけれど、古いやり方を続けるなら、周りがどんどん進んでいる時に時計を止めているという事なんだから、突然淘汰される日が来ても文句は言えない。

何故だが、日本にはブラック企業の話が耐えないけれど、ブラックが存続できるのは、人が辞めないからだ。転職をした人なら分かるが、仮に営業やマーケティングというポジションであれば、選びさえしなければ溢れるほど転職先はある。辞めないのは、今まで辞めてきていないから、仕事に就けないのではと思うからだろう。ブラックと感じたら即やめるべき。ブラックだって働く人がいなくなれば、存続できなくなる。ブラック企業の撲滅は、働いている人にかかっている。辞める。それだけだ。