大器晩成

大器晩成を信じますか?

よく占いで出てくる言葉に、大器晩成という言葉があります。

 

晩年に大成するという意味ですが

その晩年がいつ頃なのかは個人差があります

 

何ていう風に占いでは書いてあります。

 

本当にそうなのかもしれませんが

大成を体験するまでは

誰も信じることができないと思います。

 

私もその一人で

どの占いをやっても大器晩成と出ます。

 

でも、呆れるほど、ついていないことは起こります。

 

最近は、大器晩成という言葉は

占い師が一生人生が付いていないと出ているときに

がっかりさせないために作った

せめてものやさしさの言葉ではないかと

思うようになりました。

 

冷静になって考えると

大器晩成は、晩年に運気が上がったことを

意味しているわけではないと思います。

 

ついていない人は、ずっとついていない状態が

続くと思います。

 

逆に運がいい人は、一生運に恵まれると思います。

 

ただ、運が悪い人は、それなりにそれを切り抜けて

人生の最後を迎えるわけです。

 

誰だって、そこまでの荒波に揉まれれば

強くなり、どんな屈強にも耐えられる個人を

作り上げられると思います。

 

であれば、自力で大成できるまでの実力がつくのではないかと

 

逆に運がいい人は、ついていない人が

経験した苦行に出会わなかったというだけで

一方が苦行の最中に、小さな幸を積み立てていけるわけです。

 

大器晩成の人が晩年にとんでもない富を築くとしても

結局は運がよかった人の幸の積み立ての合計に

大器晩成の人が晩年の追い上げで

同じ一くらいまで上り詰めるようなもので

両方とも幸の大きさは同じかもしれません。

 

ただ、20歳に感じる幸福は

20歳の時にしか感じられないので

そういう意味では、運がよかった人の方が

バリエーションに富んだ幸を積み立てていけると思います。

 

ただ、その大成を目にする前に晩年が終わる場合も

ありますよね。

 

そういう人にとっては

苦しいだけの人生だったと思います。

 

また大器晩成と言われてきたけど

晩年を迎える前に、そのついていない日々に

挫折をして、切り抜けることをあきらめてしまった人も

出てくると思います。

 

そういう人にとっては

人生が苦しいだけのものに映るかもしれませんよね。

 

勉強のために啓蒙書籍を読むことがあります。

 

良い職場にするためにしなければならないことなど

数多くの出版物が出ていますよね。

 

でも、その書籍を読んだ人の中で実践してみたら

逆効果で上層部に睨まれたり

目の上のたんこぶのように思われるようになったり

ひいては、今回のように解雇勧告にまで進んだり

そんなことが高い確率で起きます。

 

今回の解雇勧告も、自分の業績が一時的に下がったかもしれないけど

それは、他の社員の業績が一度低迷したのと同じ種類で

大きく違いません。

 

なぜ自分が解雇の対象に選ばれたのか

それは、様々な偶然が重なり、そうなっていると思います。

 

神様は目に見えないかもしれませんが

もし神様とアポイントを取れるのだとしたら

こうなった経緯を聞かせてもらいたい。

 

信仰の篤い人でも、非常についていない人生を送っている人って

多いですよね。

 

もし神様が信じる人を救ってくれるとしたら

救ってもらってるんじゃないかなって思うことがよくあります。

 

身内の話ですが、信仰心が篤くなかった兄が

結婚してから、仏壇のお世話をよくしていました。

 

神棚まで家につけて、毎日手を合わせるまでになりました。

 

ところが、離婚問題が浮上し、泥沼化し

離婚が成立するまでに長い時間を要し

挙句の果てに、成立した際にかなり多くのお金を

支払われるにまで至りました。

 

それに加えて、うつ病を患い

その状況で会社は買収され

新しい親会社の下で解雇となりました。

 

解雇後、離婚問題は泥沼化し、お金は減る一方で

鬱病のため、次の職にもつけずという状況に

なりました。

 

何でもできる覚えの早い兄でしたが

その状態を見て、ふと見上げたところにあった

神棚を見たときに、あれだけ手を合わせていたのは

何のためだったんだろう。

 

こういう状況に陥ってから神棚を作って手を合わせ始めたのなら

まだわかるのですが、このような状況になる随分前から

手を合わせていましたが、信仰し続けていた人にも

手を差し伸べなかった。

 

ポジティブにとらえるなら

この苦しみを乗り越えること離婚をして新たな人生を進むことが

手を差し伸べている内容なのかもしれませんよね。

 

今は、神棚はもうありません。

 

その時点で、兄は、自分で乗り越える力をつけ始めたのかもしれません。

 

こういうことの積み重ねが

大器晩成につながるのかもしれませんね。